「雲の墓標」(続)。
◇作者の阿川弘之って、どっちかというと保守派と言われてる人だろうと思うが、いろんな戦争や軍隊を描いた小説の中で、私が高校生のころから、一番印象に残ってるのは、この本である。
特攻隊の若者の話だ。三人とも学徒出陣で、国文科の学生である。主人公の青年は、自分の運命を受け入れようとする中で、次第に国を愛し国のために死ぬことが美しく正しいと思うようになる。考えて見れば、わりと保守的な作家だからこそ、そういうところがものすごく、よく描けていた気がする。
もう一人の青年は、別に左翼とかではないんだけど、冷静で皮肉屋で、そういう風には染まって行かない。だからこそかえって苦しいこともある。でも彼は自暴自棄になんかならず、ひそかに飛び立ったあと不時着して生きのびることを計画する。
友情や学問やほのかな恋や、すべてが切ない、「西部戦線異状なし」にもひけをとらない青春小説だ。でも、やがて就職して大学の国文学の教師になってからは、別の意味で私はこの小説が切実なものになった。
青年たちは自分の大学の恩師である老教授に、しばしば手紙を書く。その中で、自分たちの悩みや、大学時代の思い出などを語る。生きのびようとするひそかな計画、運命を受け入れようとする決意。
教授の返事の手紙はないし、教授は登場しない。でも私は、もし自分が学生からこんな手紙を受けとったらと思うと、あらゆる意味で本当に戦慄した。優秀で、純粋な若者たちが、信じてもいない戦争で命を捧げなければならない運命に、のたうち苦しみながら、大学での日々をなつかしみながら、こんな手紙をよこしたら、どんな返事が書けるだろう。思っただけで、ぞっとした。
私の教えた学生は、小説の中の彼らと同じように、元気で聡明で素直だった。彼らからこんな手紙をもらうようになる事態だけは、絶対に来てほしくないと私はひそかに願いつづけた。湾岸戦争がはじまった時も、PKO法案が成立した時も、私は本当に脅えた。彼ら彼女らが卒業し、年をとって行くたびに、私はどこかでほっとしていた。でもまたすぐに、次々に、同じような若い元気な若者たちが大学には現れて、私はこの恐怖には終わりはないのだと、あきらめざるを得なかった。今もそうだ。
◇それなのに私は口に出しては一度も、その若者たちに、教え子たちに、戦争に反対しなさいとは言えなかった。憲法を守りなさいとも、共産党や社会党に投票しなさいとも言えなかった。飲み会の席でたまに政治や国際情勢に関して議論することはあっても、結局は冗談にまぎらして、それ以上のことを真剣に話せなかった。
思想調査や弾圧が恐かったのじゃない。そんなものは何も私の周囲にはなかった。私はただ、彼らにとって教師であり、大きな影響力がある自分が、そういうことを口にするのがいやだった。私が何を好きか何を考えているかを一生懸命知ろうとして、それに合わせようとする学生もいるだろうとわかっていたから、なおのこと絶対に言えなかった。
力を持っているからこそ、それを使いたくはなかった。
それがまちがいだっただろうか。力を平気で恥知らずに使う人が、あらゆる手段で私の教えた学生たちを戦場に送ろうとしている、こんな事態になったのは、私が自分の力を使うことを自分に許さなかったせいだろうか。
まちがいだとは思いたくない。彼らを信じるとも言いたくはない。「雲の墓標」の学生たちが老教授によこしたような手紙を私が受けとらなくてはならない苦しみが、もしも私に訪れたとしても、それは私の問題だ。自業自得かもしれないが、それでも私の問題だ。私の力の及ぶ相手に、私の力を使わなかったことを、私は今でも、後悔しない。まちがっていたとは思わない。
この苦しみと悲しみの、強い予感の中でさえ。絶望と怒りの中でさえ。