いつ誰がどこでどうして?
「江戸の紀行文」の第一章で、江戸時代の紀行としてはむしろ異色の「おくのほそ道」がどうして代表作扱いされるようになったのか、について書きました。
芭蕉が偉大で研究者も多いから、「おくのほそ道」も熱心に研究されたし、それが他の紀行に比べても最高、という評価が定着していくにつれて、横すべりに江戸時代の紀行全体の中でも最高、となってしまったんじゃないかとね。
それはだいたい正しいと思うのですが、じゃ、いつそういう横すべりが・・・「芭蕉の作品の中で最高」が「江戸時代の紀行の中で最高」に変わったのかという決定的な瞬間はつかめないままでした。
一応、芭蕉研究の第一人者の方にもうかがったのですよ。「おくのほそ道が近世紀行のトップって言い出した人は誰?あの人あたりじゃないか、でもいいけど」って。でもはっきりはしませんでした。そうだろうなと思います。そんな簡単に言えることじゃなさそう。
と思っていたんですが、自分の本を読んでいて、自分で気がついたのですが、(笑)これは、明治、大正、昭和の初めまでは、「おくのほそ道がトップ、最高、代表作」なんて、誰も思ってないですね。
私は帝国文庫の紀行全集や当時のその他の紀行全集のことを考えていてそう思ったのですが、むろん、これらの全集はすべて何度も読んだから収録されている作品群もおおかた覚えています。そこでは芭蕉もその作品も決して特別扱いされてはいない。今日の私の基準で見ても、実に納得できる、バランスのいい作品が網羅されている。
特に昭和初期の帝国文庫(柳田國男編)は私も含めていろんな人が指摘するように、ちゃんと貝原益軒を近世紀行の代表者ととらえている。
つまり、ここまでは江戸時代の紀行について学者や識者の評価はちゃんとしていたんじゃないでしょうか。
では、そのあと「芭蕉の作品以外、江戸時代には見るべきものがない」という、最近まで続いた見解が主流になったのは、なぜでしょう。いつ、誰が?
私が本で紹介した鳴神克己「日本紀行文芸史」(昭和18年)が、さしあたり最高に怪しいですが、でもわかりませんね。かりにそうだったとしても、この本が当時それだけの影響力を持っていたのか。また、彼はなぜ、この本の中で芭蕉を最高として、同時代の他の作品を否定したのか。何かそうさせる要素が、当時あったのか。彼もまた何かに、誰かに、影響を受けているのか。
紀行のようなマイナーな分野で、このあたりの研究史など、もうさぐりようがない状況なので、やる前からお手上げ気分ではありますが、つきとめたくてうずうずはします。
まったくもって、時間はいくらあっても足りません。(笑)
じゅうばこさん
「屍鬼」は買えたのでしょうか。地方の発売日は遅いですよ。