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うっかり油断していたら。

◇十月はもう、ダブルブッキングどころかトリプルブッキングみたいな予定の錯綜があいつぎ、ここ数日生きた心地もなかった(笑)。
書きたいこともしたいことも山ほどあるが、やはりそろそろ、もうしばらく完全に政治ネタと社会ネタは、このブログで封印し、仕事に集中することにする。

◇朝、洗濯物がしあがる前に、ちょっと読み出した文庫本「夫のちんぽが入らない」が、面白くてすばらしくて、あっという間に読んでしまった。
最初の書き出しから、読みやすくて品があって、いい文章だなあとうっとりし、作者の清潔で暖かい生き方も心が温まり、夫との性交渉がうまく行かないことについて(ちんぽが入らないと言っても、夫婦はそれぞれ他の異性とはちゃんとセックスができるのだ)、そういう不思議なこともあるのか、難しいものだと目を開かれ、子どもはいないの、作らないのと聞きただしてくる周囲の暴力もつくづくわかり、その他いろんな点で、問題はまったく異なるけど、私が味わったうっとうしさのいくつもと、共通することもありすぎて、文字通り、痛くて快い痛快さだった。

この際ちらっと言っとくと、私はこれまで、いっぱしの少数派、反逆者の面をして世間を渡ってたやつが、私の発言や行動にとたんにびびって混乱してとまどって、何とか既成のレッテル貼って安心しようとしくさる無様さを見て、やっぱしなそれがあんたの本質かとあざ笑ったこともある。

もっと本心をあらわに書けと、小説についてアドバイスされたときは、そんなもん書いて、世間にさらした時に起こる事態と結果についてあんたはその貧弱な想像力と脳みそで、ちらっとでも予想した上で言ってるんかい、責任とる気があるのかい、あるわけねえよな、必死でごちゃごちゃ言い訳するせりふと声と顔とまで、こっちはありあり想像できるわいとせせら笑いつつ絶望もしてた。

(だから、作者が何度かくりかえす、「私は夫のちんぽが入らないんです、と言ったら、どうするんだろう、この人たちは」という問いかけが、ものすごく腑に落ちて、ほんとに文字通り内臓にぼすっと打ちこまれたほど共感した。)

還暦に自分の性やその他について、少しだけ赤裸々に書いた「私のために戦うな」という本を読んだ周囲の親しい何人かが、「そういうことだったのかと、ふだん言ってたことの意味がやっとわかった」と言ったときは、正直ただ「恥知らず!」とあきれた。
わからなかった、知らずにいたのは、ただのバカだからしかたがない。それをわざわざ多分ちょっと感動して私に伝えずにはいられなかった、その鈍感さと無神経さと厚顔無恥ぶりにしんそこ疲れた。そういう恥しいことは、黙って悟って、できたらば恥じとけよ。

◇ただもうひとつ書いておくと、この「夫のちんぽが入らない」の作者と私が絶対的にちがうのは、小学校の先生をしていて、クラスが荒れてどうしようもなくなって、病気になって退職したあと、反省したのもあってかその子どもたちが遊びに来るようになって仲よくなり、頼られるようにもなるって展開だな。

私は非常勤で高校で教えたり、大学でも長いこと教師やってたりして、その間幸いにして(ただの幸運だったと思う)学生や生徒にひどい目にあったことはない。こっちがひどいことをしたことはあってもだ。
ただ、当然だが時にはクラスで、目に見えて反抗的な態度をとる生徒はいた。
私はそんな時、まったく傷つかなかったし、暖かく強くその生徒に接して、結局は最後はその相手と仲よくなり、いい関係を結んだと思う。

でも、その時実はいつも私は少しがっかりしていた。
私のこの程度のおおらかさや優しさやフェアさで、心をほどいて打ち解けて、やめてしまうような反抗なら、はなからするなよ時間の無駄!と、毎回舌打ちしていた。
反抗なんて、勝って相手を滅ぼすか、負けて自分が滅びるか、どっちかだと覚悟した上でなくてはするもんじゃない。相手が好きになったからって、やめてしまう反抗なんか、反抗の名にも値しないわい。

まあ、生徒や学生相手なら仕事だからそれもいいけど、大人同士の普通のつき合いでは、私は自分を傷つけたり攻撃したりした人と、後で打ち解けて仲よくなっても、最初に言われたことされたことは忘れないし許さない。
もう、そういうことした人よね、という記録は決して時効にはならない。
気づかないでやるならともかく(それはただの間抜け)、わざと攻撃的に出て自己弁護とアピールを最初にかますやつなんか、この忙しい人生で、いちいち相手にしてられっかい。

ということも、いろいろと思い出して、楽しんだ。しかし、これで軽い読み物が品切れになってしまった。しゃあない、キツネの家族の研究かカミュの伝記でも読んどくか。

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カツジ猫