うわあ。
◇年の暮れに驚いていてもいけませんけど。
ちょろっと2ちゃんねるの映画掲示板で「レ・ミゼラブル」の評判を見たのですよ。そしたら、なんか拍子抜けするぐらい好評でしたけど(笑)、映画や舞台とは関係なく、私がずっこけたのは(これはまさかネタばれではあるまい)、主人公のジャン・ヴァルジャンが19年の刑期をくらった原因が、妹の幼い子どものためのパンを一個盗んだだけ(それで5年で、あとは脱走をこころみたから加算された)ってのは、もうあまりにも有名な話ですが。
その感想で誰かが、あまりひねくれた意見や突飛な意見をねらってるんでもなさそうな、常識的なことを言おうとしてる雰囲気で、「でも罪は罪だし。パンを盗まれた人にとっても、それは大切なパンだったかもしれないし」みたいに言うと、もう一人の人が「しかもあれはたしか、パン屋のガラスをわってるので、あの時代にはガラスも高いからパン屋も打撃だったのではないか」とか言ってる。
冗談か見まちがいかと何度か目をこすって読みなおしましたが、たしかにまちがいなく、とっさに何という恐ろしい世の中になったもんだろうと、いっそ笑えてきちゃいました。
私は実は映画を見て、あのパンを1個盗んで5年ひいては19年というくだりを思い出して、これはちょっともう、あまりにも露骨だなあ、もうちょっと微妙な罪にしないと、あまりに誰も文句のつけようがなく、主人公は悲劇のヒーロー、世の中の犠牲者で、絶対に誰も抗弁できないぐらいの犠牲者になっちゃうのが、作者もあまりにあざといっつうか、すきがなさすぎるっつうか、なんて、えらそうに、のんきなことを考えてたのです。
それがまあ。「とられた人にも事情が」「ガラスも高かったはず」とか、ちょっと見いかにもバランスとれた、万人を思いやったような言い方で、飢えた肉親の子のためにパンのひときれを盗んだら、5年ひいては19年監獄に入れられた人間の運命を、「しかたがない」と肯定するんですか。すごいなあもう。
これって何なの。法の裁きはまちがいないと信じたいの。昨今はやりの被害者側の人権とか、そういう発想の派生物なの。どっちにしても、えらく気持ちが悪いなあ。この、多分ユーゴーの時代の人でさえ、きっとふつうにあったはずの感覚の欠落。「そりゃ、いくら何でもひどい」とふつうに感じられることが感じられない不感症。
まあさ、とことん前向きに考えるなら、これ、ひょっとして、キャラママさんが最近こだわってる、「強者やエリートは神も民衆も決して守ってはくれない」というグチが、ようやく少しは聞き入れられて、どんなに悲惨な運命の人がいても、それを救わない、見逃して何もしない、もっと恵まれた立場の人の悲しみや痛みも、考えてもらえるようになったってことかしら。
私にもキャラママさんみたいな感覚はあるんだけど、でも、だとしても、私の家のガラスが破られて、パンが盗まれて、それが飢えた子どもを救うためのパンだったとわかって、その人が5年の刑を受けるのが当然という世の中は…やっぱり、あんまり、うれしくないなあ。その犯人が情状酌量されて、私は一人でこっそりくやしがって、私のパンは、私のガラスはって、ぶつぶつ言ってるだけの方がまだいいような気がしてならない。
◇キャラママさんは、今から玄関にしめなわをつけるそうです(笑)。私は今からまたDVDを見ます。
「さくら隊散る」、最初見たときは、凄惨な描写が印象に残ったけど、何度か見ると、これ、いいなあ。青春の、若者の、無惨な運命が、まさに「散る」って感じで、まぶしくかがやいていて。とても美しい、魅力的な青春映画にさえ見える。
◇あ、私も年内にはもう来れないかもなので、皆さんどうぞ、よいお年を!