おっとっと
ここ数日パソコンの調子がおかしく、ふだんなら秒速で処理できる何でもない作業に、下手すりゃ一時間近くかかる始末。ついついうんざりして書き込みをやめたり、思いがけない記事をまちがってリンクしたり、消そうとしても消せなかったり。というわけで、変な書き込みがたまにあっても、皆さまお見逃しのほどを。
と言いつつ、ついでだから宿題ひとつ、かたづけちゃいますか。
いや、他愛もないことなんだけど、「ママ戦争とめて来るわ」に、異常なまでに敵意を持って攻撃してくる人ってときどきいるじゃないですか。
何をそう傷ついてるんだろうと、だんだんふしぎになって来た。まちがってるかもしれないけど、そういう姿勢、発想、つまり自分の行動や発言で、世の中が何か変わると考えることそのものが、許せないというか、自分にはまったくわからない感覚だから、そこが得体がしれなくて、恐くていやなのかと感じたりした。
できたら、ただ、ぶちきれて、嫌味いうだけじゃなくて、何がそう気に障るのか逆鱗に触れるのか、説明してくれないかなあと思ったりもした。
デモでも集会でも署名でも投票でも、「自分がどうするかで、世界の運命が変わる」「そのカギは私が握ってる」と感じたり思ったりする程度は、人によってさまざまだろう。そして私なんかは、その程度がかなり強くて、ちょっと自分でもどうかと思うところがある。
多分もう書き上げるヒマはないと思うけど、女子高生たちが山ほど登場する長編小説を書きかけっぱなしにしていて、その中の一人に、「何があっても自分の責任、自分が悪い」と思い込む少女がいる。登場人物全員がどっか変なので、特に目立たないけれど、とにかく世界規模でも身近でも、全部自分が悪かったと感じてしまう癖があって、登場人物すべてがそうだが、彼女も私の一部がモデルだ。
私は、今は家族もいないし、特に属する集団も組織もない。それでも、世界の動きや世の中の事件を見聞きするたびに、どこかで、私が怠けていたからだとか、私が見まちがっていたからだとか、私が油断していたからだとか、反射的に感じてしまう。最近の辺野古での転覆事故でも、さすがに私にどうしようもなかったことではあるけれど、それでも、ああいう体制やああいうかたちの活動をしていたこと、せざるを得なかったことについては、気づかないでいたことも含めて、どうにかできなかったかと、自分にむしゃくしゃしている。これについてはまた、その内に書くけれど。
で、朝から晩まで、庭に水をまき、ご飯を作り洗濯をし、仕事をして眠るまで、何となく、世界の動きをどこかで感じて、生きている。今はこれでも、まだ気にしなくなった方で、たとえば大学時代、自治会活動をしていて、ベトナム戦争反対のビラを、朝早く大学の門の前で登校する学生に配る予定があったとする。でも疲れていて、どうしても起きられなくて、寝ていたいとき、いつも考えていたのは、「私が今朝ビラまきに行かなかった結果、集会やデモへの参加者が何人か減って、その結果、世間にアピールする力が少なくなって、ベトナム戦争が終わる日が遅れて、そのために、ベトナムの青年や子どもや老人が何人か余計にナパーム弾で焼けただれて死んでしまうかもしれない。でも、もうその責任は負う。それでいいから寝ていたい」ということで、毎回、それを覚悟して、二度寝していた。そういうことが一度や二度ではなかったから、もうそういう罪悪感と開き直りのセットを味わうのにも慣れてしまって、すっかり習い性となった。
今でも、すっかり老化して、体力も落ちて、集会やデモや会議や街頭演説や署名に出られない毎日を私はいつも、「ああ、私が参加しないために、トランプがつけあがり、ネタニヤフが暴走し、ガザでは少女たちが死に、日本では石油不足で患者さんが亡くなるのだ。でもしかたがない。今の私には、その責任を負う覚悟で、こうするしかない」と、毎日思って過ごしている。
世界と私はいつも直結している。「戦争とめて来るわ」なんて、珍しくも何ともない。この感覚がいいか悪いか、わかってもらえるかどうか知らないけど、一応そういうもんだとだけお知らせしておきたくて(笑)。
そして、この根本には、「迷惑かけるなバカ」「放っておいてよアホ」って心境も実はある。今朝のNHKのバラエティーで、ひとりぐらしの楽しみ方というのをやっていた。私は子どものころも今も、ひとりでいるのは、まったく苦にならなくて、むしろ、どうか世の中が平和になって皆が幸福になって、私を早くひとりぼっちにして解放してくれと願い続けて生きて来たような気がする。
ちょっと晴れたので、買ってきていた、アネモネの苗を何とか植えました。もう新しい花は咲かないかも知れないけど、来年に期待しよう。

