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きれいな思い出だけが残っている内に(笑)。

◇上の家の灰色猫グレイスは、お庭に出られないので、かわりにいつも「猫の草」を買ってやっています。でも、これが品切れしていたり、枯れかけたのしかなかったりすることがけっこうあって困ります。今日は珍しく新鮮な草が店にあったので、喜んで買って来ました。ついでに、下の家のカツジ猫の、庭のトイレにしている砂場が、最近砂が減ってるので、川砂を二袋買って来て入れてやりました。
この砂が、ものすごく重たいんですよ。いつまでも、これが自分で運べるように、せいぜい身体をきたえておかなくちゃ。

◇その後、夕方から、また福岡に行きました。アクロスで明日までやってる「平和と戦争展」の特別企画で小出裕章先生の「原発との別れ方」という講演があるというので、聞いておきたかったのです。
ナマ小出を見ておきたい、というミーハー精神もちょっとはあったのですが(笑)、時間ぎりぎりに着いたら何と会場が立ち見も出る満員で、隣りの部屋のテレビで講演を聞くことになりました。映像でしか見なかった小出先生は、何だか宗像の「しこふむ会」という玄海原発差し止め訴訟原告団で活躍されている岡本先生に、ちょっと感じが似ておられました。偉大な理系学者はああいうタイプになるのかしらん。
講演はわかりやすくて、痛快なほどに切れ味がよく、とても勉強になりました。詳しい内容は明日…って、時間があるかなあ。期待しないでお待ちください(笑)。

◇忙しいから当面いろんなおつきあいをすべてやめます、と宣言したら、何人かの方から自分が原因ですかみたいな心配したメールが来ました。以前に年賀状を出さない宣言をしたときも似たようなことがあったので、覚悟しておくべきでした。というか、皆さんそこそこ、このブログを見ておられるんですね。身近な人はほぼまったく見ていないだろうと思っていたのに。

どなたかの何かに原因があったとかいうことは、いっさいありません。だいたい昔の学者とか文人とか、よくこうやって一定時期閉門みたいにあらゆる交際を断つとかしてませんでしたかね。芭蕉もたしか、やってたんじゃない? 病気で療養するとか、牢獄に入るとか、そういう時期に学者や思想家は思索を深めることが多くて、そういうものがなかったら、めでたいことだけど、その分、時にはそういう孤独な期間が必要になるんじゃないでしょうか。

私は基本的にわがままで気まぐれです。だから普通に人とつきあうのでも、かなり気をつかって自分を抑えています。ここ当分の忙しさが、どこまで続くか見えない中で、このままだと、もうそういう気遣いを人に対してする余裕がなくなるのが目に見えている。絶対に失礼なことや無神経なことをしてしまうと思います。
今私が個人的におつきあいしてる人は、まあ十人前後でしょうが、男女を問わず、現時点ではおおむねうまく行っています。この関係が維持できる力が自分に残っている内に、おしまいにしたい。きれいな思い出だけが残っている内にお別れしましょう、いろいろありがとうございました、と言うと、何だか死にかけた人のせりふのようですが、まあこれも一つの終活ではあるのでしょう。
死ぬ時には孤独で死にたい、というのが、子どものころからの私の変わらぬ夢でした。それに一歩ずつ近づいて行こうとしているのかもしれません。

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カツジ猫