1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. こがねむしは金持ち…でもないけど。

こがねむしは金持ち…でもないけど。

◇古い家の方の玄関を開けると、家じゅうにさわやかな木の香りがします。台風が近づいているので、大工さんたちが持って帰れない分の材木を、居間に積んで行ったからです。いいなあ。築30年の古家が、目をつぶるとまるで新築のようだ(笑)。

この家は私がここに来てすぐに買った建て売りで、多分外材のそんなに上等の家ではないのですが、その分気軽に使えるので私は何だか気に入っています。
叔母が亡くなった後しばらく私が管理していた叔母のマンションは、何だか倉庫のようなワンルームで、上等の家具がごちゃごちゃ詰め込まれていて、私は叔母のようにお金に不自由しないなら何もこんなところじゃなくて、海辺か郊外の豪華な家に住めばいいのに、仕事いちずで楽しみ方を知らないのかなあと時々思っていました。

でも、短い間ですが暮らして見て、安心したのは、一見殺風景で不愛想な作りでしたが、やっぱりお金がかかっているというのは争えないもので、どっしりと安定感があって妙に居心地よくて住みやすく、ああ、叔母も叔父もこのマンションで快適に暮らしたんだなあと実感して私はほっとしたのでした。数年後に手放す時もだから叔母たちが幸福だったことを教えてくれた、その家に感謝して別れを告げました。

◇今回整理しようとしている田舎の二軒の家は、一軒は築100年に近い古民家もどきで、建てた人が材木の一本も自分で吟味したという大変しっかりした家です。長年の風雪に耐え、シロアリにも少しかじられて傷んでいますが田舎の家ならではの風格もあり、周囲の水田から吹く風で冷房もいらない、これまた奇妙なほどに安らぐ家です。もう一軒はその横に7年ほど前に私が建てた、母の隠居所のための家で、これはとびきり腕のいい昔気質の大工さんが作ってくれた、これまた作りのしっかりした、けれん味のない堂々とした家です。

この大工さんは、新婚の夫婦がおしゃれで派手な玄関を作ろうとすると、「トシを取った時に、この玄関の横にあんたたち二人が立った姿を想像して、それでもいいと思うかい」と忠告してやめさせるような人で(笑)、ごちゃごちゃちゃらちゃらしたのは大嫌いらしく、屋根も何もないぺたんとした普通の屋根が一番いいという考えです。その一方で私のいろんな突飛な要求は、皆すぐに理解して希望通りのものを作ってくれましたから、すごいです。
「しろうとが見てどう思ったってかまわない。ちゃんとわかっている専門家が見たときに、いいとわかる家を作る」というのがモットーのようで、まあそりゃ私はしろうとですが、でも本当にすみずみまで、技術に絶対の自信のある職人が作ったとはこういうことかと思うような、一部のすきもない、飾り気のない高貴さがある家です。費用の点ではそんなに高くもなかったんですが、建った瞬間から貫録がありました(笑)。

◇私が今住んで使っている二軒の家のうち、最近立てた新しい小さい家も、この大工さんに頼んで、田舎から泊まり込みで来てもらって建てた家です。だから、田舎の家のミニ版のように、小さいけれどがっしりどっしりしていて親子か兄弟のように似ています。
サイズから言うとかわいらしい家なのですが、全然かわいらしくありません(笑)。大きな家を作る大工さんが作った家だなあと何となくわかる家です。その、あえて言うなら、ちょっとどこかおかしな感じも、実は私は大変好きなのです。

◇要するに、そういう家たちは古民家まがいも、高級マンションも、技あり匠の芸術作品も、皆どこか堂々と本物の感じが漂っています。それはもう恐いほどにわかります。
でも、この、私が30年前に建て売りを買った家は、それに比べて、すべてがまるで軽自動車のようにぺかぺかしていて頼りなく、芝居の書き割りのような嘘っぽさがあります。ちゃんとした家族がちゃんと住んだらまた別かもしれませんが、私が好き勝手に建て増しや改修もしたので、ますます怪しげでチープな空間になっています。

でも、これはこれで私は妙に好きなのよね。長く住んだ愛着や猫や犬たちの思い出というのもあるけど、この学生下宿のような適当な感じが本当に好きでなりません。
風呂場にはちょっと大きめの洗面台がついていて、これを見たとき、不動産屋さんが「わあ、これ、いいじゃないですか」と変に喜んでいたのを覚えています。玄関や廊下や書斎に使っている部屋の壁にはこげ茶色の木目のちょっと立派に見えなくもない合板が貼ってあるのですが、これを貼る時大工さんたちはこれまた妙に喜んでいて、もしかしたら洗面台同様、適当に手に入った材料を持って来て使っていたのかなという気もしないではない。私は若いから全然気づかなかったけど。ちがうかもしれませんが、「よくこんな板が手に入ったな、こんないいものが余っていてよかったな」みたいな会話を、大工さんたちがしていたような気がするの(笑)。ひょっとしたら別の家の工事の余り物だったのかもしれません。

ですが、そんなこと思い出してもちっとも不愉快じゃない。むしろ、うれしそうに生き生きしてた不動産屋や大工さんは、それなりに、この家をいいものにしようと、とても楽しんで喜んで作っていたという感じがあるのです。少なくとも私の記憶の中ではそうです。
土地と家とあわせて一千万もしなかったし(それでも定年近くまでローンを払ったけど)、他の四つの家と比べたらものすごい安物だと思います。でもどこに釘を打とうが削ろうが気にしなくていい、何でもありのこの家は、これはこれですごく楽しいです。
今回私は、この家のあらゆる場所に書棚を作って家全体を書庫にしてしまうから、私以外にはきっと誰にも使えない家になるでしょう。そういうことを許してくれるのも、この家のいいところです。

◇こんなことをのんびり書いているというのも、台風接近のため、いろんな予定が一週間延びたため、家具の移動の準備をあまり急いでしなくてもよくなったからです。あいかわらず仕事は山積みなんですが、ちょっと人間らしいペースに戻れそうで、ほっとしています。このままだと来週あたり私は、生きていたとしても何か奇妙な生き物に変容してるんじゃないかって、いやな予感がしていました(笑)。

昨日と今日の二つの講座は、どちらも何とか無事に新シーズンのスタートを切ることが出来ました。よくもまあ、ここまで乗り切れたというか、こぎつけたというか。自分をほめるよりも、自分にあきれます。
「案内記と奇談集」についての論文を掲載した雑誌もできあがって、送られて来ました。やれやれやっと、久しぶりに論文が書けたやんね。この数年エッセイばかりだっ
たからなあ。
実は数日前に原稿を見ていたら、一カ所脱字があって、ぎゃああと頭をかかえ、しかたがないかとあきらめていたんですが、着いた雑誌をおそるおそるめくって見たら、さすがは「日本文学」の編集部ですね、ちゃんと訂正してありました。それとも最終校正で私自身が直したのか。どっちにしても、これまた一安心です。

さてまた、片づけにとりかからねば。ああ、自分の勉強もしたいのに。

Twitter Facebook
カツジ猫