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さよなら原発集会報告

◎雨もぱらぱらしましたが、嵐というほどではなく、少なそうだった参加者も最終的には1万人ちょっとだったとのことで、一応ほっとしました。
当地からはいつも行動力にあふれて、映画「ひまわり」の券を100枚近く売ったおじさんが、「バスを借り切って行こう!」と言い、観光シーズンでバス会社のバスが一台もなかったのを、ある旅館のマイクロバスをチャーターして、20人ばかりで乗って行きました。車中では、小中高から大学まで学校現場の先生方が疲れ果てている現状や、馬糞で農業をしている人の体験や、安倍首相のNHK人事に反対して受信料拒否をする提案など、あれこれあって、面白かったです。

◎集会の報告はそれぞれ迫力があり、内容がびっしりつまっていました。原発の多い新潟県で原発を拒否した小浜市からの報告、柏崎市の活動なども説得力がありましたが、「日本最初の宇宙飛行士で、福島で農業をしていたのが、原発事故ですべて失った」村上さんの、

「国は被災者をまったく救済しようとしていない。自分はしいたけ栽培をしていたが、福島の木はすべて汚染され原木にできなくなった。山菜も食べられない。
退職金をつぎこんで築いた生活がすべて崩壊し、今は京都で非常勤の教師をして細々と暮らしているが、それも数年後はどうなるかわからない。30キロ圏内までは保障も出るが、自分は34キロで保障はゼロだ。
国は被災者を見捨てるし、何かしてくれようという気などない。私は自分は在日日本人だと思っている。
原発事故はこうやって、大勢の人間の老後を奪うのだ。九州の原発(玄海、川内)で事故が起これば、ここにいる皆さんも絶対に同じことになる。絶対に再稼働をさせてはならない」

という訴えや、広瀬隆さんの、

「これだけは覚えて帰ってほしい。福島原発の事故の原因は津波でなく地震だ。自分の知人が調査委員会(だっけ?)に入っていて、そのことは明確なのに、シロウトの委員たちが原因は地震ではないなどと言っていて、ああいう報告は決して信用してはいけないと言っていた。
今の原発は、地震の想定はマグニチュード6程度までしかしていない。九州の人にはそれはぴんと来ないかもしれないが、東京ではそんな程度の地震はいくらでも予想できるから、恐ろしくて夜も眠れない。

燃料棒はいったん再稼働して点火したら、冷えるまで数年かかる。その間に何かあったらもうおしまいだ。九州の2原発は一昨年から動いていないから、やっと安全になったところで、ここで安易に再稼働したら再び危険な状態が長引くことになるだろう。

いったん九州や四国の原発で事故が起これば、風にのって日本全国が汚染される。九州はそういう位置にある。私は自分の孫を守るためにも九州の皆さんに土下座してでもお願いしたい。絶対に玄海、川内の再稼働はさせないでくれ。日本全国の運命がかかっているのだから」

といったお話も圧巻でした。

◎村上さんや広瀬さんの訴えは切実で深刻でありながら、どこか歴戦の勇士の面影がそれぞれにおありで、力強いものも感じましたが、別の意味で痛切だったのは、福島から避難してきた女性の、市役所の職員だった夫が苦しみながら上からの方針を皆に伝えるしかなく、自分は子どもが心配で、結局夫や家族とも別れて北九州に避難したこと、そこでまたがれき焼却の問題と対決しなければならなかったこと、事故当時、何の知らせもなかったから知らないで、最も放射能の高い時に子どもと長時間水をもらうために戸外にいたし、その後も学校では地元の食材で給食が出され運動場で遊ばされ、それをやめさせることができず、危惧する親や子は逆に敬遠され、子どもは登校拒否になったこと、「自治体も学校も子どもを守ってはくれなかった」こと、もう自分は身体も心もぼろぼろだが、もう少しだけがんばってみる、という報告は切なすぎました。

彼女は震災前までは「ただの主婦、幸せなピアノ教師、政治にも市民運動にも何の関心もなかった」人です。もう一人、県の代表の一人で発言した「ただの主婦」と名乗った若い女性も、「こういう場所でなら悩みも苦しみも話せるが、お母さん仲間や友だちや、この集会の外では、自分の気持ちが話せない」という発言も、今の私自身と重なって、深く胸に刺さりました。

この人たちを孤立させてはいけないと願うとともに、そう願う私自身が孤立して、最も親しい友人知人と、こういう問題を話せずにいる苦しみが身体をしめつけてくるようです。いやな現実は見たくない、楽しいことだけしていたいという人たちの気持ちが、私自身にもよくわかるだけに、そういう人たちと笑って楽しく過ごしている間の苦しみは、時に耐えられないものがあります。

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カツジ猫