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ただ何となく♪

◇江戸時代の紀行に「壺石文」というのがあって、作者が東北地方で聞いた話がいろいろ紹介されてるのですが、これは、弱い者いじめして、人も動物も苦しめていた男が、野宿していた山の中で、鳥の化物をはじめとした動物たちに襲われて、苦しみながら死んで行く話です。
ただ何となく、思い出したので、書いときますね。

(八月)十六日。朝いしてけり(寝坊した)。日いでゝ後おきてみれば、てけ(天気)よし。はた寒し。白川わたり(あたり)にても、ほのきゝ侍りき、瀬ノ上わたりにてもほのきゝ侍りきを、此わたりにはしかじかの事侍りきやとゝへば、

「げにさる事侍りき。まことや、いにし文化ノ十一年九月ノ十日ばかり、此伊達ノ郡ノ石母田村といふ所の元十といへる、さつを(猟師)かりにいにけり(狩りに行った)。やつをこえて、まぎつゞくれど、露ばかりのさちもあらざりければ、うちうめきながら貝田(カヒダ)山こえて四穴(ヨツアナ)といふ所にいたれるころは、やゝ夕づきてけり。落葉かきよせ火たきつけて、もたりける、もちひ、あぶりつゝくひてけり。
此よつあなといふ処は、貝田駅より廿町ばかり西の方なりけり。そのかみ秋葉山大権現をいつきまつれる森ありとなん。うしろは岩ほそびえて峯高く前は木だちしげりて、をぐらく、よはなれて、ものすごく、常に鷲のかゞなく山中なりけり。たゞあれにあれて草むら高く、ありし宮ゐの石ずゑ、とうろなど、こゝかしこにくだけたふれて苔にうもれたり。かゝるけうとき処にても、世のひがものにて、かだましき、あらをのこなりければ、いをやすく、ねたるなるべし。

夢におそはるゝこゝちして、何ならん、あらゝかに、つかみつきて、空高くなげてけり。『あなや』と驚て見れど、ほとりに人もなし。『あやし』とおもひつゝも岩角にうちつけられて、いたき腰をなづるなづる、もとねし所にゐざりよりて、おもひめぐらせば、十間ばかりもあなたになげられてき。『あな、ねたのわざや』と、はらだゝしくて、秋葉の杜の方をみやれば、やうかはりて大なる鳥の、松の梢に高くゐたり。

『見つけてけり』と、うれしく覚て、やをらづゝ、ゐざりよりて、あふぎためらひて、火矢いでけるを、みじろぎをだにせざりければ、『たがひてけりな、くちをし』と、いきの下にひとりごちつゝ、また、ものしてければ、をちこちの山のやまびこ、俄にどよみて、あまたの人のわらひくつがへるこゑすなり。
『いといと、あやし』と思ひつゝも、かの鳥のもとの所にゐたるを、又もねらひよるものか、とかう、ためらひて、はなちてんとせし時、けしきかはりて、たゞこゝもとに、とびく(飛んで来る)と見えしが、たちまち、おどろおどろしう、たけ高く、ふとり過たる、うばそく姿の人となりて、髪もひげも、ひたみだれに乱れて、まなこゐ、するどに、色黒く大口なるが、長き臂をのばして、つかみつきて、ひこずりよせて、八十いかづちのとゞろくばかりの、おほごゑにいひけらく、『おれ、此やつこ、いわけなかりし時より親の心にそむき(小さいときから親の言うことを聞かず)、しぞくのいさめにさからひて(親族の忠告も聞かず)、家の業をもつとめず(仕事もまともにせず)、くさぐさのよからぬわざをして(いろいろ、よくないことをして)、人をたしなめ(苦しめ)、人となりて後、いよいよかだましく、あらびて(成人後は、ますます意地悪で乱暴で)、輪野原(ワノバラ)といふ所にて人をころし、おれが親をうちさいなみ、おれが村の堂塔をやきこぼち、竹木をぬすみとり(自分の親を苦しめ、村の建物を破壊し、樹木を盗み)、森山堤にて苅田ノ郡に神といつきまつるてふ白鳥をころし、国見峠にて大窪村の村長がかへりし赤狗をころし(人々があがめる白鳥や、村の指導者が飼っていた犬を殺害し)などの罪とが、ことごとにかぞへば、およびもほとほと、そこなひつべし(数えていると、手の指が足りなくなる)。おれ此やつこ、おもひしりてよ』とて、すなはち裸にして、つい松(たいまつ)の火もて背にさしあてゝ、やきこがし、『さいなまれし時の親のくるしみは、かくやありけん、何くれのものゝ、いきのはだゝつ時のかなしみは、かゝりけん(お前が苦しめた、人や生き物の気持ちはこのようなものだ)』など、いひのゝしりつゝ、かしらにまれ、しりにまれ、たかむなさか、むかもゝ、肩、脛など、やきこがし、たゞらかさるゝ、をりをりの、くるしさ、おそろしなどは、世の常なり。

おらびたけび、なきかなしみて、(た)のみまをさく、『あが君、たすけ給ひてよ。さらずば、とくとくころしてを』といへば、高らかにわらひて、『かなふまじかなふまじ。こは、あまつ神のみこともて、さいなむわざぞかし』と、ことあげして、いたくいかりて、いよゝつい松のおき、ふりたてゝ、さしあてゝ、やきこがしつゝ、つかみつきて、なげはふりければ、いづこよりか、血にまみれたる白鳥とびきて、やけたゞれたるからだを、ついばむなる、あか狗の同じさまなる二首(フタカシラ)はしり来て、左右の手をかみひこづろふほどに、熊、猿、猪、兎、雉子、山鳥、鯉、鮒など、あまたつどひきて(たくさん集まって来て)、くらひさいなむまゝに(食いちぎって苦しめるにつれて)、をたけびたけぶ大ごゑ、山彦にひゞきて聞ゆめり。

山のあなたに柴かりゐたる、をのこら四五人、『あやし、何ならん、いきて見ばや』といひつゝ、彼秋葉ノ社近くよれば、大空に、かれたる声の、神さびたる、ほの聞えて、『なちかづきよりそ。とくとく、こと方へまかでよ、長ゐせば、あしかりなん』といへば、俄にえり寒きこゝちして、さあをになりて、ちりぢりに、あがれ帰れり。
ほとりの人々に『しかじかの事なん侍ける』と、かたらひければ、『いきて見てん』とて、貝田ノ駅辺なる、わかうどゞも、三十人ばかり、つい松を手毎に、棒、槍などとりさうどきて、かの、よつあなといふ処に、いたれりければ、けおそろしく、玉くろ、しゞまるこゝちして、皆しぞきにしぞくなる。十日の夜の月もいりはてゝ、をぐらき山路の岩かげに、かしらあつめ、かゞまりゐて、夜の明るをぞ、まちたりける。

からうじて山のは、しらみゆくに、秋葉ノ社近くすゝみよりて見るに、草村のうちに、うめき、もごよふ物有。人々かしらの毛ふとるこゝちして、ためらふほどに、ひとり、ひたぶる心なるあらを、草かき分てみてあれば、やけそこなはれたる人の、ものをもいはず、しにもはてざるなめり(焼けただれた人間が、口もきけず、死ねないままでいた)。

やうやう朝日さしのぼれるほどに、『かれぞ』と見あらはしたる。口々におどろかせど、いらへもせず、たゞ、ひえにひえいりて、ほとほと、しぬべきさまに見えければ、かれが方に人はしらせやりてけり。
家人おどろきて、すなはち、むかひとりて、とかう、くすし(医者)などたのみ来て、とりまかなひけれど、われかのけしき(意識不明)にて、かひなし。二日ばかりは、ひとことをだに、いはざりけるが、みか(三日)といふにぞ、うつゝごゝろいできて、ありし事ども、つぶつぶと、まねびてける(少し意識が回復して、あったことを、ぽつぽつ話した)。

ほとりの人々つぎつぎ伝へきゝて、きとぶらふ(訪問する)毎に、としごろ、おのがなしたる、まがわざ(悪事)どもを、ことごとに、みづからかたるめり(自分で告白した)。かたらふほどは、やけそこなはれたるきずのいたみ、すこしはゆるびぬるこゝちすめれど(悪事を告白して話している間は、痛みも少しはやわらぐのだが)、もだある(沈黙している)時は、たへがたくなん。やかれたるあとは、くりにこがれて、うみ血もいでず、ふくれあがりて、蟹といふものゝ甲のごと、かたく見ゆ。十日ばかりがほど、くちばしり、かたりのゝしりて、しにけり(死んでしまった)」となん、真福かたらひける。

◇こちらも、いろいろ、ごらん下さい。

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