ねらったわけじゃないけれど。
◇4月からの前期の古典文学の授業は、歌舞伎を中心に「ぬれぎぬと文学」について話してるんだけど、共謀罪が審議されてるこの時期に、時宜を得過ぎてるというか、ぴったりすぎて自分で恐い。
今日は、まったく無実の人物が罪を着せられて苦しむ「予期せぬぬれぎぬ」について説明したのだが、別に全然こじつける気がなくても、「いいですか、皆さん、このように身に覚えのない罪を着せられると、人は動転して抗議することも忘れてしまうものです。だいたい、最近の高校生へのアンケートでは、取り調べは厳しくすべきだという意見が多かったそうで、そりゃ、皆さんもそうかもしれませんが、犯罪なんて悪いことしなきゃ自分には関係ないものと思ってる人も多いでしょうが、政府や警察がいつも正しいと信じていたらそうでしょうが、そういう人ほど、身に覚えのない罪で逮捕とかされたら、もうびっくりして呆然として、自衛も何もまったくできなくなる。悪気があっても、なくっても、警察や政府が無実の人をつかまえてしまうことは普通にあるし、それが自分である可能性はいつだってあるわけです」とか、もう根本的な政治不信や警察不信や社会不信を教えこんでしまうのだよなあ、文学を通して。
私は何も授業の場で政治的アピールなんかする気はさらさらないのだが、個々の文学作品の魅力を理解してもらおうとして語っていたら、必然的にこうなっちゃうんだもん。そりゃ支配者や指導者が、文学をとりしまりたくなるはずだよと、教えながらしみじみ思う。
◇それと、あれ?世の中変わりつつあるのかな、とこれも実に実感したのは、テキストに紹介してる資料に演劇が多いので、朗読してもらうのに配役決めてやってるのだが、「別に声優みたいに読まなくてもいいし、読んでもいいし」と言っていて、今日はたまたま「オセロー」のデズデモーナの役に男子学生数人を次々にあてた。昔だったら男性が女性の役を読むと、何となくいやいやだし、やりにくそうだったのだが、今日の人たちは別に肩に力も入れずに、それはもう自然にするーっと、それぞれが「清らかで美しくて純真な金髪白皙の美女」デズデモーナの、はかない可憐さを実に上手に若々しくみずみずしい声音や口調で表現するので、えっ、君たちすごい、と、ひそかにだが腰が抜けるほど驚いた。こ、こ、これはという感じで、そこにはいろんな要素があるのだろうけれど、やっぱり世の中確実に(悪くない方に)変化しているものもあるのだろうなと、強烈に思った。
http://ww1.fukuoka-edu.ac.jp/~itasaka/jugyou/hikaku05.html
少なくとも、私がこの授業ノート↑で書いたことは、もう過去のことになりつつあるのだろう。なお、この私の授業関係のページは、福岡教育大学のサイトの中にありますが、見られない場合は「www」の部分を「ww1」に変えると大抵開けますので、お試し下さい。