びゅうっ
朝、郵便受けをのぞいたら、十月からの文学史の授業のためのテキストの校正刷りが、もうできて来ていた。数日前に表紙の原稿を渡して打ち合わせしたばかりなのに、電光石火の速さである。
金時計文庫の「あらあら江戸文学史」のテキストを数年使って残り少なくなったので、せっかく再版するのならと、少し内容を入れ替えて、コラムなども加えて、タイトルも「江戸文学史やわ」に変えた。
表紙も三つほど見本を作ってくれていて、薄緑系のやつが、スマートで風変わりでお洒落な感じがしたので、それにしようと思う。
その校正を大車輪でやっていたら、何もしない内にびゅうっと一日が過ぎてしまった。何とか明日には返送したい。
二日ほど前に冷蔵庫の中の古い肉や野菜を一掃するべく、山ほどおかずを作った。どれも味は悪くなく、いい気になってぱくぱく食べていたのだが、どれかが悪かったか単に疲れか、お腹の具合がちょっとよくない。しかし、小説「人間襤褸」の中で、原爆の被爆後、山に逃れて松林の中で暮らしている人たちが、原爆症の下痢に苦しみ、ヒロインの一人も動けなくなって人にもらった洗面器を尻にあてて、血便を垂れ流して横たわっているというような話を読んだ後なので、まるで苦にする気にさえなれない。最後はその洗面器さえも、やせた尻にあたって悲鳴をあげるほど痛いのだから、もうめちゃくちゃだ。
同じように山に避難していた若者が、苦しむ中で山の上の方から、朝鮮人たちの明るい歌声が毎晩聞こえた話をする。朝鮮人たちも当然被爆して苦しんでいるのだが、虐げられていたのが日本の敗戦によって解放されたために、その大勢の歌声は明るくて力強い。若者はそれに敵意や反感は持たない。むしろ日本のしてきたことの意味を考え、そうやって歌を聞いていることの意味を考えることで、救われているようでもある。そこのところの文章、そのまま紹介したいなあ。明日にでも。
昨日買ってきた、82円の安い石竹の花を、今日、ばたばたと庭の鉢に植えた。これで、ちょっとは見てくれがよくなったかな。ハロウィンの飾り物のカッコいいのをもらったので、上の家の、クマの置物の上にかけてやった。おかげで居間が華やかになった。よしよし。クマ自身が見られない位置なのが、ちょっと気の毒だが、きっと夜中の誰も見ていないときには、ぐるっと首を回して見上げているかもしれないからな(笑)。
腰の痛みはほぼ治ってきたが、右側の奥がまだ痛い。これはカツジ猫がいつも私の右側にくっついて寝るので、そっち向きに私も寝て抱いてやるからかもしれないと気づいて、昨日から彼に背中を向けて、反対側を向いて寝るようにしてみた。そうしたら、さっきちょっと寝ていて起きたら、やつは初めて私の左側に丸くなっていたので、大笑いしてしまった。やっぱり私と向い合せではいたいのかな。何を考えているのかわからないやつではあるが。