ふらいんぐ
スーパーやデパートが、やたらに父の日の宣伝をするものだから、てっきり昨日がそうかと思って、父の写真を適当に机において、庭の花とありあわせのお菓子を供えていたら、一週間先だった(笑)。何しろ父の写真を見つけて初めて父の顔を知ってから、まだ数年なので、何かとまちがいが多い。母の写真がせせら笑っているような気がする。
上の家は、本当に予定の半年遅れで何とか片づいた。いやまだ押し入れにもあちこちにも、片づけきれてない荷物があふれてはいるんだけどさ。まあ人を呼んでもおかしくない状態になったかもしれない。何しろもう自分の感覚が狂ってきてるから何とも言えない。
庭にはまったく手をつけていないので、もう木も草ももしゃもしゃだが、滅びたかもしれないとあきらめていた黄色のバーベナが、茂みの向こうで咲き出したのはうれしい。叔母の家のベランダから昔持ってきた、ありふれた花も、今年はいやに元気に何本もつぼみを出している。去年、田舎の家からもらって来た、昔ながらの小さな柿をうちにもあればいいなあと思って、種をポットに植えておいたら、何とこれが、ほぼ全部、10本ばかりも立派に芽を出しているのだが、育つかな。
二階のソファに転がって読む本は、今「ブリキの太鼓」だが、なかなかすごい。お母さんが体調崩して死ぬきっかけになった、ウナギ取りの描写が何かものすごすぎて笑ってしまう。誰かに話したくってしかたがないのだが、聞いた人は絶対ウナギが食べられなくなりそうだから、人を選ばなくてはならない。かく言う私はどうなのかわからないので、今度近くの和食屋で、うな丼を食べてみようかと思うのだが、どうなんだろうね。
DVDでは「バトル・オブ・セクシーズ」を見た。どーせ女が苦労して権利を獲得した話なんだろとうんざりして見る気なかったのだが、テニス映画だからってのでもないが、スコーンとさわやかで、非常によくできていて、快適だった。エマ・ストーンすごいなあ。きれいな人なのに、まるっきりきれいに見えない、ごつい荒削りな感じになってて、しかもそれが結局はとてもきれいに見えるってのが、脱帽だ。
ライバルのおっちょこちょいのアホな男子チャンピオンのボビーも憎めないのがいいし、それはしょせんおっちょこちょいの道化で、紳士で教養ありげなジャックが実は真の女性の敵というのを、ヒロインがきっちり理解してる、その対応のみごとさに胸がすく。そして彼女が、苦しいときも最高のときも、愛する者と共有しないで、とことん一人で戦い、幸福をかみしめるというのも、わかりすぎてわかりすぎて。
それにしても、これ実話なんだよね。そして、これほどのヒロインが、あまり有名でないみたいな気がするのは、彼女が最愛の夫と結局(映画で描かれた時期のあとで)別れて、女性パートナーと結ばれたということもあるのかしらん。きっと当時は「ほら、女性が男性に勝ったとか言っても、彼女は結局、女を愛するオトコじゃん」みたいなこと言う人も少なくなかったはずだから。
そう思うと、こんな映画がメジャーで堂々と作られるようになったってこと自体、このヒロインが戦いとり、築き上げた成果の結果なんだよなあと、あらためて思う。
久しぶりに近くの本屋をのぞいたら「介護殺人」という物騒な文庫本があったので、衝動買いした。いろいろ、身につまされるとかいう以上の過酷すぎる現実に、あらてめて、老後は二千万用意しとけと、しらっという政府に、マジでもう殺意を感じた。
介護に疲れて家族を殺した人たちと、私の差はほとんどない…と言いたいが、永田洋子も宮崎勤も林真須美も自分とそんなにちがわないと、すぐに感じる私なのに、それに比べると、この加害者たちとは、ずいぶん距離がある気がする。
それは何かというと、一にも二にも、殺してしまった被害者、つまり介護していた家族に対する強い愛があるところだ。どの話を読んでもつくづく思った。私は絶対にこんなに、ここまで、自分を犠牲にして献身的に人を愛せない。たとえ家族でも。
多分、だから生きて来られたんだろう。