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ほんとに、ほんとに、いやなのよ

昨日書いた続きです。
 あくまで、私がそうだというだけで、そうじゃない人も多いでしょうから、あくまでも、参考までに。

(ああそうか。参考までに、って今自分で書いてわかったけど、こういう風に使うのね。以前に「あなたのブログを老後の参考にします」と言われたとき、友人の一人が激怒して「何て失礼な、ものの言い方知らんやつ。よくつきあってるな」と自分のことみたいに憤慨したのが、何だかよくわからなかったけど、そう言えばそうだわ。「参考にしてね」って、「つまらないものだけど、ひょっと役に立つなら使って」というニュアンスで、こっちが相手に使ったら、「役に立つかどうかわからないけど、ひょっとしたら何かの用に立つかもしれないから、そのへんにおいといて」ってことになる。よっぽど自信がある人でなきゃ言わんよね。それがひとりでにぽろっと出るってことは、自分がよっぽど偉くなったと思いこんでる人でなきゃ無理。もしかして、ほんとに出世してたのかしら。いいけどさ。
 …と最初から、けんか売ってますけど。笑)

わかりやすい話からはじめます。マッサージ店の新人さんの話題作りの話。
 私の担当になってすぐ、私が猫の模様のTシャツ着てたら「猫、好きなんですか?」
 直球すぎません? つまらない。というのもあるけど。

私この「お好きなんですか?」と聞かれるのが一番苦手です。
 どうかなあ、本当に好きなのかなあ。はっきり好きというほどの、そんな責任持てないなあ。かと言って「別にそうでもないけど」とか言うのは、猫にもシャツにも悪いしなあ。と、いろいろ迷ってしまいます。
 だいたい人でも物でも、「これが好き」と明言するのがいやなんですよ。恥ずかしいとか言うよりも、弱点を知られると危険と思う。人質にとられたり私のために傷つけられたりしたら困るじゃないですか。そんな危険は犯したくない。そんな危険にさらしたくない。

猫でも人でもその他でも、私は好きなのか嫌いなのか、自分でよくわからないんです。
 嫌いなところが好きだったり、好きなところが嫌いだったり。欠点が忘れられない魅力になったり、魅力的だけど絶対に完全には信じられなかったり、腹は立つけど離れられなかったり、大好きだけど幸せすぎていっしょにいると疲れたり。

「お好きなんですか?」という質問は、そういうことのすべてを、恐竜のしっぽでがらがらと全部たたきこわされたような気分になります。混乱して、よろめいて、不安になります。

その時も「まあね」と笑って、ぼやかしました。
 それからは、猫の模様のシャツは着て行かず、うさぎの模様のを着て行きました。
 そしたら即座に聞かれました。「うさぎ、お好きなんですか?」って(笑)。

「別に」とかですませればいいのに、イラついたのと、遊びたくなったのとで、つい言っちゃったのね。「うん、食べたらおいしそうとは思うわね」と。
 そうしたら、「はあ…」とだけでおしまいでした。
 そこもつまらなかったのよね。「食べたことおありですか」「そう言えばそうですね」ぐらい、つないでほしかったわ。

自分が意地悪になるのも恐かったから、次は無地のシャツを着て行きました。そうしたら、「今日は雰囲気がちがいますね」だって。
 君はシャツ二枚の模様で、人の雰囲気知った気になるのか、いくら何でも母数が少なすぎるだろうが。
 そもそも一番いやなのは、たかが服の模様ぐらいで、ろくに会ってもいない相手を知ってるようなわかったような気になられることです。

いやー、私に金と時間の余裕があれば、きっと腐りかけた死骸の模様のシャツでも探して買って、着て行ったことでしょうよ。「死体、お好きなんですか」と聞かれたら「臀部と脳髄がね」とか答えてみたかったです。

私は人に理解されないことはそんなに苦にも気にもなりません。そんなの私に限らず誰だってそうだと思うから。そのために、ことばがあるんだから、望みも説明も伝えます。声が出なけりゃ手話で、それもだめなら何とか方法を見つけて。
 それがわかってもらえなくても、別に相手に失望もしないし、責めません。
 でも中途半端に理解した、把握した、と勝手に思われるのは一番困る。

(大学のテキストにも使用した「アリバイ・アイク」という野球選手の心理や行動は、この「理解されたくない」という心理を、とても軽妙かつテンポよく、うまく描いた傑作です。私の「ぬれぎぬと文学」の冒頭に紹介していますから、よろしければ、ごらん下さい。)

ともあれ、ブログの文章なんて、私の考えや生活のごく一部です。楽しんで面白がって気晴らしして時には怒ってくれたら充分。
 憧れたり真似したり参考にしたいとほざく人は、私の苦しみや痛みや不安や孤独や憎しみにのたうちまわった夜とか、汚れたトイレや部屋を、熱があってよろめきながら四つん這いになって片づけている日々とか、いったい知ってるんですかと言いたい。別に知ってほしくはないし、知ってほしい相手や、そういう時にはちゃんと言うけど、ただ、そんなことも想像もできないで、私を尊敬したり憧れたり好きになったり甘えたりする人って、何と薄っぺらな世界のうわべだけをなぞって生きてるんだと思います。いいけどね別に。私の人生じゃないんだから。

これまでおつきあいしてる友人や業者の方は皆、私の要望を受けとめてくれ、必要以上には近づかず、仕事をちゃんと果たしてくれて、私とは関係ない自分の道を歩んでいる人たちです。うわっすべりな、その場しのぎの同調じゃなく、主義主張信仰が私とちがっても同じでも、ちゃんと確実に自分の生き方をし、黙ってできることをやっている人たちです。そういう人たちが存在している。今のところは私はそれで充分です。

葬儀社の担当の方が、そうはっきりおっしゃったかどうかは覚えてないけど、多分「お住まいを拝見したら、ご要望のこともよくわかるかもしれない」というお気持ちなのだと思います。それでうまくいくかも知れませんが、そもそも私は家や暮らしを見られたぐらいで何者かわかるような生き方はしていません。自慢なのではなくて、それだけはちゃめちゃで予測不能の毎日だからです。
 そういう意味で、理解や把握をあきらめて下さればいいのですが、カニは甲羅に似せて穴を掘るとはよく言ったもので、人は誰でも(むろん私でも)しょせん自分の容量しか、人を理解はできないものです。自分にわかる、自分ならできる範囲の枠内で、自分のペースでしか仕事ができないということなら、これ以上話を進めるのは難しいでしょう。

おまけに私はまたしても、いたずら心が動き出して、ちらかりついでに、できればどこかで白骨の標本、せめて頭蓋骨でも手に入れられないかな、どこかに飾っておいたら面白いだろうなんて考えていますからねえ。どうなることやら。

せっかく「オデュッセイア」の映画も公開されそうですから、映画「トロイ」をネタにして私が書いた小説「馬の中」シリーズの中の「三幅対」からも引用しておきます。

何しろ、しゃべってるのはアキレス(相手はオデュセウス)なので、私と同一視されたりしたらとことん困りますが、まあこんな気分になることも人はあるということで(笑)。

「つまりな」とオデュセウスが言う。

「うん」私は素直にうなずく。

「人に劣っているやつらは、優れたやつのことを知りたがる」

「どうして?」

「おれも知らんよ」オデュセウスは結局、そう言う。「多分、何かの役にたつと思うんだろう。自分より優れた者のことを知れば、それを自分の生き方にとり入れられると」

「自分より偉大なものの生き方などから、何を学べるというのだ?」私は言い返す。「勇者のかぶとを身につけても、弱者はよろけて倒れるだけだ」

オデュセウスは苦笑する。「それじゃ弱者に救いはない」

「教えてやろうか」私は言う。「賢いオデュセウスに」

「何を?」

「劣ったやつも優れたやつも、もともとこの世にはいない。自分より優れたやつがいると思って、そいつのまねをしようと思ったその時に、初めてそいつは劣ったやつになるのさ」

オデュセウスは吹き出し、私はまた海を見る。風にたわむれる白い波を。

「君はやっぱり残酷だ」オデュセウスは静かに言う。「自分にしか与えられていないものを、皆が持っているはずと決めつける」

「おれの持っているものでなくても、どんなやつでもそれぞれ何かを持ってる」私は言い返した。「自分のそれを使おうともせず、おれの持っているものばかり見つめて、自分にはそれがないと言いつづけるやつはうっとうしい」

 

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カツジ猫