ほんとにばかだね。
◇ばかとしか言いようがない。何度も似たようなことがくり返されている、電車内のマナーについての広告。
https://matome.naver.jp/odai/2148461883343068201
◇洋画の人気が落ちてるというけど、そりゃそうだろう、ハリウッドの有名な作品でさえ、全然公開しないんだもの。そして、関係者は世界的に日本だけが、ものすごく時期遅れの公開になってたことを「気づかなかった」と言う。ちょっともう、信じられない。仕事に対して不まじめすぎないかい。
http://ameblo.jp/simalisu3218/entry-12237957558.html
◇今日は一日、母の死後の年金や保険だのの、いろんな手続きにはげみました。
私のささやかな生命保険の受け取りが、母になってたので、親戚の若い人に変えておこうと思ったら、三親等までしか認められないと言う。甥や姪までならいいが、従姉妹はだめ。一人っ子の私は三親等ってもう誰もいませんよ自慢じゃないけど。少子化が進み、お一人様が増えてる現在、非現実的すぎやしませんか。
それじゃ友人とか同棲相手とかじゃだめなのかと首をかしげていたら、まったくだめなことはないらしいが、審査が厳しいのだそうで、保険会社の上司とやらが直接家に訪問して面談しないとだめなのだそうだ。聞いている内にどんどん不愉快になった。何だかよくわからないが、自分の金を残す相手のことを、何をそうチェックされなくてはならないのかがわからない。それも赤の他人の保険会社の人間に、こっちの人間関係を査定してもらうというのが、どう考えても気に入らない。何さまなのよ。
で、このまま母を受取人にしていて、私が急死したらどうなるのかと聞いてみた。私の遺産になって遺言状を書いていれば、その遺産に入るのかと聞いたら、そこもはっきりしない。遺言状を見ないとわからないとか言い出すので、あきれてしまって、解約することに決めた。どうせ、母がいなくなったら私が生命保険をかけて誰かに残す必要など、まったくと言っていいほどない。猫に残せるのならまた別だが(笑)。
◇この、もう自分が死んでも誰かに何かを残す必要がないというのは、大変いい気分だ。まあ状況にもよるだろうが、愛する者が次々と死んで行って、あとに一人残されるのが私はそんなにいやじゃない。沈みかけている船に残って、乗客を皆無事にボートで逃がしたあとで、ひとり甲板に立っているような、充実感と爽快感がある。私が母の死をあまり嘆く気になれないのは、沈み行く船や、燃えている家から、母を無事に逃がしたという安心感のようなものがあるからかもしれない。孤独や老いや病気から、母は自由になった。母がいなくなった戦場で私は今からまだ戦う。そんな気がしているからだろう。