ぼくたちと、ほたると、きょうりゅう(カツジ猫)
みなさん、こんばんわ
かいぬしは、このごろ、よっぽどいそがしいのか、
まいにち、ぱそこんとべっどのあいだを、いったりきたりしています。
あめのひがおおいから、ぼくたちも、ねてばかりいるひがおおくて、
ちょっと、たいくつしていました。
かいぬしも、きぶんてんかんをしたくなったらしく、
ぼくたちにむかって、
「なにか、おもしろいことをしたいね。
ふくおかで、きょうりゅうてんをしているから、みにいくかい。
それか、このちかくで、ほたるをみにいこうか」と、
はなしかけました。
ぼくも、せんぱいねこの、きゃらめるさんや、あにゃんさんや、みるくさん、
それに、おもやにいる、ねこたちも、みな、もう、しんでいるけど、
いきものには、みえないだけで、いまも、ふつうに、くらしています。
かいぬしも、なんとなくわかるのか、ときどき、ぼくたちに、
はなしかけたり、いけんをきいたりします。
いちばん、さいきん、しんだのが、ぼくで、
きょねんの、はちがつまでは、いきていました。
はちがつのはじめに、きゅうに、きぶんがわるくなって、
まいにち、ねていたら、きがついたら、しんでいました。
おもやの、げんかんのよこの、おおきなはちの、「たけ」が、
のびてきているのを、みながら、かいぬしは、
「きょねんの、たなばたでは、まだかつじはげんきで、
たんざくに、『かつじが、げんきですごしますように』とか、
かいて、つるしていたのになあ。
いちねんが、ひとめぐりするまでは、なにかと、つらいなあ」と、
ためいきをついています。
かいぬしは、ことしは、どんなことを、たんざくに、かくのかな。
ぼくのことを、なにもかかないってことは、ないとおもうんだよな。
ぼくたちは、いきているあいだ、
ほたるも、きょうりゅうも、みにいったことは、ありません。
「ほたるは、どうせ、このへんで、よるに、でかけたら、
きっと、みられるし、きょうりゅうのほうを、みにいきたいな」と、
くろねこの、あにゃんさんがいったら、
きゃらめるさんも、さんせいして、
「おれもぜったい、きょうりゅうのほうが、みたい」と、いいました。
みるくさんは、「うーん」とまよっていました。
みるくさんは、ずうずうしいようでも、あんがい、おくびょうなので、
きょうりゅうより、ほたるのほうが、いいのかもしれません。
「おもやの、おゆきさんも、さそったら、いくかな」と、
あにゃんさんがいうと、きゃらめるさんは、
「ほかのねこや、いぬも、いきたがるかもな。
みんなで、きょうりゅうたちと、たたかったら、おもしろそうだ」と、
ぶっそうなことを、いっていました。
ぼくたちは、おぼえてくれている、いきているにんげんや、どうぶつが、
だれもいなくなったら、すっかり、きえてしまいます。
そのまえに、なにかに、うまれかわったら、きえないけど。
きょうりゅうは、すごくむかしに、いきていたらしいから、
おぼえている、いきものは、いないはずだけど、
ひょっと、なにかに、なんどもうまれかわって、そのへんにいたら、どうしよう。
そうおもったら、ちょっと、どきどきします。
やっぱり、ほたるのほうが、ぼくもいいかな。
かいぬしが、ぱそこんをうっているそばで、ぼくたちは、
このごろ、まいばん、そのはなしばかりしています。
はやく、かいぬしが、しごとをしあげて、
いっしょに、でかけたいと、たのしみになってきています。
