ぼくは、おけしょうをする(カツジ猫)
みなさん、こんにちわ
かいぬしは、きょうもあさから、だいしゃりんで、かたづけしごとに、はげんでいます。
「だいしゃりん」ということばは、かいぬしから、おしえてもらいました。
このまえ、げんかんからそとにでて、すこし、あるかせてもらったときに、
かいぬしが、じぶんのくるまの、たいやに、ぼくをくっつけて、
「こういうのの、ものすごく、おおきいのが、がーっとまわるみたいに、
しごとにはげむのを、だいしゃりんというのよ。
おまえには、しぬまで、えんのない、ことばだろうね。
この、むきりょくねこさん」といったので、
ふんと、おもって、おぼえました。
かいぬしは、このまえ、ぼくが、おるすばんしたとき、
かなあみのまえの、たなのうえに、えさをはいているのをみつけて、
「やれやれ」といって、かたづけながら、
「ひとりで、さみしいと、すとれすで、やけぐいするのかなあ。
いっしゅうかんぐらい、いなかったら、
ちょっとは、なれるんだろうか。
やってみる、ゆうきは、ないけど」と、いっていました。
かいぬしは、ぼくが、そとにいて、さむくて、なみだがでると、
それが、めやにみたいになって、めのまわりがよごれるので、
いつも、てぃっしゅをぬらして、ふいてくれます。
でも、このごろは、ぼくは、じぶんで、おけしょうするので、
めのまわりも、はなのうえも、きれいなので、
かいぬしは、ちょっと、よろこんでいます。
「みなしごきゅうえんたい」というところの、ぶろぐをよむと、
はいきがすのおおいところだと、
けが、よごれても、なめたら、どくになるのがわかっているから、
ねこは、けづくろいをしないそうです。
けをなめるのは、おちつくので、
なめられないと、ふこうなのだそうです。
「つらいはなしだね」と、かいぬしは、いいながら、
おけしょうをしている、ぼくを、
ふくざつなかおで、みています。
ばんに、べっどにいって、ねるとき、
まえはすぐ、ねていたけど、
このごろは、ときどき、ぼくは、
かいぬしに、くっついて、はらばいになって、ねたままで、
かたあしずつ、まえにのばして、なめて、
それで、かおを、あらいます。
「おお、ねこの、ねげしょうというのも、わるくないねえ。
ちょっと、いみは、ちがうかもしれないけど」
と、かいぬしは、よこからみていて、いいながら、ねてしまいます。
このしゃしんは、ぼくが、いつも、みずをのむ、かびんから、
みずをのんでいるところです。
「みごとな、よこめだこと」と、かいぬしは、いいました。
いまは、おにわにある、がらすの、いれものに、
たまったみずを、のむことがおおいので、
この、かびんのみずは、あまり、へりません。
「かえって、いれかえるのを、わすれそうで、こまる」と、
かいぬしは、こぼしています。