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まったくもう

◎風邪のせいもあって、仕事がなかなか進まない。明日は新学期最初の授業でテキストを配らなければならないのだが、力仕事に自信がないので、販売は来週にしようか。

毎日掃除洗濯食事と家事をやっていると、いかに手抜きでも、あっという間に一日がすぎてしまう。退職前からそうだったが、本当に雑事に追われて肝心のことができない。
「もういっぴき新しい猫を飼うようなことがあったら、カツジならぬザツジと名をつけてやる」と、今日行きつけの店で口走ったら店の人があきれたように、「それで、その猫をどうするんです。箱にでも入れて出ないようにするんですか」と心配した。

◎福島の汚染水がもれていたとのニュースが、もうあまり大きくも扱われないのが、ほとほと恐い。中国のPM25とやらには私も迷惑していて、風邪もそのせいじゃないかと思っているのだが、大気汚染や海水汚染という点では、日本も海外で何と言われていることやら。

先日何かの記事で誰かえらい人が、原発の国内運転は無理でも、外国への輸出なら国民にもそう抵抗はないからいいだろうというようなことを言っていて、あきれて開いた口がふさがらなかった。国民をなめているのか。その感覚は何なんだ。
自分の国や町ではいやなものを、よそに売りつけるのはかまわないと、この国の国民が思っていると、こうまであっさり決めつけるかねえ。せめて、そうぬけぬけと、口に出すなよ。「たくの主人は、ごみは公園に捨てろと申しますの、おほほ」とか「家内は家庭ごみはサービスエリアに持って行くんですよ、わはは」と子どものお見合いの席で自慢しているようなものだぞ。アホがもう。

◎同じ人が言ったわけではないが、教科書検定問題で文相が従軍慰安婦の記述について、自虐史観だ、愛国心を養うのにじゃまだ、削除したいというようなことを言っている。言ってる内容も内容だが、たとえば国連やアメリカでも、このことについては今の政府が思っていることと、真反対ほどに意見がちがうのだから、これまたせめて、慎重に検討したいとか何とか、そういう言い方はできないのか。
勉強してみよう、調査してみよう、さまざまな意見の人と話し合ってみようという姿勢が、そこにはまったく見られない。これだけ大きな問題を、すべてもう自分は知っていると言わんばかりの言い方が、つくづくもう、あきれはてる。

◎福島の話に戻るが、現場で作業をしている方々のことを考えると、たまらない思いがする。先月の30日に福岡で梅田さんという原発労働者の方の講演があって、私は行けなかったのだが、先週の「九条の会」で行った方の話を聞いた。
まったくの健康体だった梅田さんは、原発での作業後の後遺症に今も苦しんでおられるが、それをこうして裁判で訴えられるのも、たまたま症状がわりと早く出て病院に行ったので、記録が残っているからだそうだ。同じような労働者はまだ大勢いるはずだが、後になって症状が出ても検証できないから、訴えられず補償もしてもらえないという。

こういう方々の犠牲を黙認した上で成り立つ文化的な生活に、どんな幸福があるというのだろう。自分はそんな苦しい職場で働かなくていいように、勝ち組になろうとして走りつづける人生に、どんな喜びがあるというのだろう。

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カツジ猫