みけねこシナモン
◎十四歳になる三毛猫シナモンの具合が悪く、さっぱり餌を食べません。無理に食べさせていたのですが、それもかわいそうになり、成り行きにまかせることにしたのですが、今のところまだ普通にしています。
十四年前に死んだキャラメルは、最後は水が飲めなくなり、あちこちの水を飲もうとしては、うまい水がないのは私の責任のような顔をするので、私はかなり落ちこみました。
シナモンは呼吸器系の病気なので、消化器系には問題がないらしく、水はいくらでもぺちゃぺちゃと飲んでいるのが救いです。
餌も少しは食べているようでもあるのですが、とにかくやせてきて、あんなに丸々ぷりぷりに大きかったお尻がげっそりくぼんでしまっています。
それでも落ち着いて私のそばにやって来るし、トイレにも行くし、夜はいっしょに寝ています。
彼女はふとんに入らず、私の頭にまきつくようにして、私ののど元に頭をのせて寝ます。夜中にふと目が覚めて見ると、彼女のまん丸いまんじゅうのような、白いかわいい顔が、常夜灯の薄明かりの中、すぐ目の上に見えます。これ絶対、彼女が死んだらしばらく私は夢に見るわ。
だいたいお医者さんも、ちょっと目を離してる時にすうっと死ぬかもしれない状態ですとか言っていたし、夜中にゴホゴホコホコホせき込んだりするので、ああもう死ぬのかとこっちも覚悟を決めるのですが、その内に治まって、朝にはまた静かに寝ています。
◎あんたがいっしょにそうやって寝てやるのが一番の元気の素なんだよ、と友人は言うし、私も、これまであまりかまってやれなかった分を取り返すまでシナモンは必死に生きているのかもしれないと思って、かわいそうだし、かわいいのですが、毎晩これで、もう一週間にもなると、まだ新幹線とかなかったころ、駅のホームで見送りの人たちが窓越しに何度も万歳三唱とかしても、汽車がなかなか出なくて時間をもてあます情景を思い浮かべてしまいますよ。(笑)
彼女が生きている間に、少しでも家をきれいに片付けたいと、家具の移動などして居間や書斎やキッチンを居心地よくしているのですが、シナモンにはいい迷惑で、散らかっていてもそっとしておいてほしいのかもしれません。
でも十四年前にキャラメルが死んで以来、ずっと彼のことが忘れられなくて家具の移動もできなかったので、こんな時でもないと片付ける気力がわきません。どう言ったらいいのかしらん、シナモンとの最後を過ごす家は、キャラメルと最後を過ごした家とはちがっていた方がいいような気がするのですね、ただ何となく。
◎とにかく彼女の生きている間に何とか仕事がじゃんじゃん進む快適な空間を作って、出来たら彼女がいるそばで、何か一つでも二つでも立派な仕事を仕上げたい気がします。でも間に合わないだろうなあ。一月に太宰府で講演した「赤毛のアン」に関する文章は、せめて、仕上げておきたいのですが。紀行関係の仕事も遅れているし。引き受けた原稿もあるし、授業は来週から始まるし。出来心で、「南総里見八犬伝」の講義をするとシラバスに書いてしまったし。一応の計画はあるのですが、授業でやるのは初めてなんですよ。
◎しかも明日は、市会議員の補欠選挙の候補者の方が出陣式があるとかで、この方は沖ノ島の問題を取り上げてくれるようなので、ちょっと顔を出しておきたいし。じゅうばこさんからは映画に誘われているし。もちろんカツジ猫は、最近私がかまってやる時間が少ないので、何となくしおれているし。
まったくもう、クローンか影武者がほしい。どこかで人生計画をまちがえたような気がしないでもない。私の晩年はどう考えても、冗談ではなく充実しすぎている。