もしや…
祖母の命日のために飾った、グロリオサの花などながめながら、私が4歳の時の祖母の日記を読んでいます。祖母の字はくずし字で、江戸の文献資料より読みにくかったりする(笑)。それでも私の名前の「耀」という字はややこしいからか、はっきり大きくきれいに書いているようで、ページのあちこちに何だか星か宝石のように散らばって目立つのが何だかうれしい。目立ちたくないという日頃の私の願望も怪しいものだ。
昨日、その祖母の日記で、叔母が私に買ってきてくれた「ベビータッド」を私が喜んで、寝るまで見ていたというのが何のことだかわからなくて、ちょっともやもやし続けたことを書いた。
祖母は祖父と結婚する前、少女と言っていいころに、長崎で外国人の宣教師の通訳をして各地を回っていたらしい。だから英語は堪能なはずだ。まったくそういう素振りも見せなかったが。
だからもしかしたら、これは本当にオタマジャクシのことで、人に見せない日記だし、つい英語で書いてしまったのかもしれないという気もしはじめた。そう言えば私は幼い日のどこかでオタマジャクシが好きで、足がはえてカエルになるのを楽しんで見ていた記憶はある。小学生のころに観察日記をつけるか何かしたのだろうと、ぼんやり考えていたが、まさかひょっとして、もっと小さいころの体験だったのじゃあるまいな。
それにしても、都会暮らしで金持ちの叔母が、オタマジャクシを買って来るというのも何かシュールすぎて変だし、もう謎が謎を呼んで何もわからない。何しろ、そのころいた人はもうひとり残らず死んでいる。
今、上の家を片づけ中で、仏間もちょっと散らかっていますが、グロリオサの花は、そんな中でも、しゃんとしてきれいです。