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よからぬもくろみ

Xの記事で流れてくる、信頼できるかたがたの発言を見る限りでは、政府が皇室関係の制度について、急に、妙に熱心になってるのは、今の天皇家を断絶させて、自分たちにとって都合のいい天皇家を作って、思う存分利用しようというもくろみがあるらしい。

「平家物語」や「太平記」を読んでもわかるように、そういうことはこれまでもよくあったから不思議でもないが、憲法とか天皇とか、いい意味で空気みたいにありがたく、多くの人がとりあえず文句もなかったものを、理由もなしにいきなり必死で変えようとし、さしせまった外交や経済や物価や災害(クマから水道管まで)はどれもこれも、まったく放置しまくり(いっそ放置しておいてくれた方がよかったと言いたくなるようなピント外れはしでかすし)の政府というのは、ちょっともう。

私はもちろん戦争反対だが、仮にどこかと戦うにしても、威嚇して平和を守るとしても、勝てる国も強い国も、この政府では作れるわけがない。今できる最大の防衛は(もう地球を数回り回るぐらい譲歩して、日米安保体制を維持するにしてもだ)、とりあえず、この内閣をやめさせることだろ。

さて、昨日の書き込みで、長崎出身の私の母が、故郷と比べて大分の悪口を言っていた話だが、「しんぶん赤旗」の連載小説「燃える花の名前」を読んでいて、ふと思い出したことがある。
 作者自身の祖母の思い出を掘り起こそうとする私小説っぽい枠組みと、韓国から来た祖母の幼時からの成長記とが、重なりからみあう書き方が、最初は物珍しかったのだが、一家の歴史と世の中の大きな流れとが、かけはなれながらからみあい、一体化して現代にまでつながるダイナミックさに、最近すっかり夢中になった。

少女の時に結婚して日本に渡り、朝鮮人の社会で暮らしながら家庭を守り、成長し、老い、少数派の悩みや不安をいつも抱えて生きて来て、でも初めて帰った故郷ではとっさに朝鮮語が出て来ず、日本人とまちがわれ、自分はいったい何者なのかわからなくなる心境が、息苦しいほど生々しかった。
 でも、それで思い出したのは、母のことだった。

もうなくなっているかもしれないが、以前博多駅に「吉宗」という長崎では有名な店があって、ここの豚の角煮や茶碗蒸しは、母や叔母にとってふるさとの味そのものだった。私は学生時代よく叔母夫婦に連れて行ってもらったし、自分一人でも何度も行った。
 母がまだ元気で、一人で福岡の私を訪ねて来ていたころは、母とも数回行ったと思うが、もしかしたら一度だけだったかもしれない。母は当然、とても喜び、長崎の味をなつかしんだ。

帰る時に母はレジの店員さんに、食事がおいしかったと礼を言い、自分も長崎出身で、忘れられないなつかしい味だったと告げた。店員さんとはそうやって、なごやかに別れたが、そのやりとりを聞いていた私が、あっと思ったのは、母のことばだった。
 母は普通に標準語をやりとりできた。でも、その時は長崎の人と話すのに、昔使っていたことばを話そうとして、方言を使った。
 その方言は長崎のものではなく、母がずっと悪口を言っていた、現在住む大分の方言だった。

母がそれに気づいていたかはわからない。自分でも何か変だと感じていたかもしれない。家族と話すときは、祖父母にも叔母にも私にも、長崎のことばでやり取りしていたような気がするし、特に大分の方言を使っていたようでもなかったのに、自分の昔住んだ世界の人と、昔の自分に立ち返って交流しようと思ったとき、母の使ったことばは、移住先の、なじめなかったはずの世界のことばだった。

そのことを母と話したことはない。あまりにもささいなことで、覚えてもいなかったはずなのに、なぜか忘れたことがなかった。

その後だったか前だったか、同窓会で一度だけ、昔の学校仲間と会って母はとても楽しんでいたが、その後で私に向かって「久しぶりに長崎の友だちと話したら、皆が優しくて上品で暖かなのに、ああ、長崎はこうだったと、あらためて思い出した。私は長いこと大分に住んで、自分では気づかなかったけど、すっかりがさつで荒っぽくなってしまっていたなあと反省した」と話したから、自分が移り住んだ土地に同化したという意識は把握していたらしい。

そして、故郷とはちがった大分のパワフルで荒っぽい気風を、それなりに評価もしていた。「長崎では運動会のとき、放送で何度ご父兄の参加をと呼びかけても、恥ずかしがって遠慮してなかなか出る人がいなかった。それが、こっちに来たら、鉛筆とかのわずかな参加賞欲しさに、おばさんたちが皆、腰巻をばたばたはためかせて全力疾走する。とんでもないところに来てしまった」と、恐れをなしたように言っていた一方、どこに行っても堂々とマイペースで周囲となじむ大分の人たちに感心もしていた。私といっしょに高校野球のファンで、祖父母も含めて長崎の高校をいつも応援していたが、大分の高校が常に上位を占めるのにも、「大分県の高校だからね、どこが出たって、絶対に上がるとか緊張するとかなくて、いつも全力を発揮する」と、たのもしがってもいた。

「燃える花の名前」のヒロインの朝鮮人女性、その孫の現代作家にいたるまでの、どこにいても異邦人で、故郷が存在しない、自分が何者かわからない不安定さと悲しみは、読んでいて胸を貫いて来る。異世界に暮らしつつ、気づけばいつかそこにも中途半端に同化してしまっている不安さや恐怖も伝わる。その切実さ、深刻さ、問題の大きさとは比べ物にならないささやかさだが、それでも私が呼び起こされるのは、二つの世界に身をおいた母の思い出だ。自分自身の中にも、どこかに流れて伝わっている、その冷たさと自由さだ。

今日は曇って涼しかったので、お隣との境のジャスミンを思いっきり刈り込みました。この家を建ててまもなく、目隠しもかねて、鉄柵に網を張って、そこにジャスミンをからませたのですが、十六年かけて分厚い生け垣もどきになっていたのを、はさみでちょきちょき切り取って、思い切って網も切り取りました。これでもう、ジャスミンが上に広がることはないと思います。すっぽんぽんに眺めはよくなりましたけど、果たして結果はどうなることやら。庭ってやつは生き物ですから、ほんとに、先が読めません。

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カツジ猫