オデュセウスのわんちゃん
今朝の「しんぶん赤旗」は、社説でもスポーツ欄でも張本勲さんについて長い追悼の記事を書いていた。あらためて読んで、心を打たれた。自分の過去をかみしめて、積み上げて、それに恥じない裏切らない人生を貫きとおした人の姿が、浮かび上がって来るようだった。


比べるのも何だか非常にしょうがないが、現首相の高市さんが、日本の戦争責任について、自分は生まれていなかったし、反省する気もないし、反省するつもりもないと国会で述べたとき、どこからそういう発想が出て来るんだよと驚いたが、その後SNSで紹介される記事では、この人はまだ若いとき、「自分の過去を知ってる人が皆死んでいなくなればいいとときどき思う」みたいな発言も、明るい冗談としてくり返していて、そういう感覚はまあ一貫しているっちゃあ一貫してる。
筒井康隆の何とかいう短編にもあるように、過去を振り返るのはいやなことも多いし、不愉快な思い出が怪物や汚物のようによみがえって来るものだから、見たくない葬りたくないという気持ちは、もちろんきっと誰にでもある。私にもある。張本さんのお母さんにもあった。でも、高市首相のように、それが(過去を消すこと、見ないことが)、ほとんど生き方の中心となり主軸となり公式の仕事も含めてのバックボーンになっている人というのは、いくら何でもちょっと珍しいっちゃあ珍しい。自分の過去から引き継ぐものが何もない人生って、いったい、どんなもんなんだろう。猫や犬や、虫たちの記憶がどこまで続くか残っているか知りたくなるのと似たような興味を抱いてしまう。
本当は今日、映画の「オデュッセイア」が公開されているはずで、あんまり本国での評判はよくないらしいのも含めて、ぜひ見に行きたかったのだが、暑さがぶりかえしたせいでへたってしまって、結局初日の鑑賞はあきらめた。世界最古の文学と言われるホメロスの「イーリアス」「オデュッセイア」は、前者がギリシャとトロイの戦争を描き、後者は勝利したギリシャの武将のひとりオデュセウスが自分の領地のイタカ島に帰るまでと帰ってからの冒険を描いている。「イーリアス」も悪くはないけど、「オデュッセイア」は、波乱万丈で華やかで映画にするのにいい題材がてんこ盛りだ。だからさぞかし面白い映画になりそうだが、逆に面白い話が多すぎて、処理できにくいかもしれない。
この中に、自分の故郷が若い生意気な貴族たちに占拠されているため、身をやつして妻もわからない姿になって王宮に戻るオデュセウスを、ずっと待っていた老犬だけが彼を見分けて慕いよる、涙なくしては読めない話がある。二十年も故郷を離れ、姿も変わって戻って来た主人を、犬だけが覚えていた(あと、足の古傷に気づいた年寄りの乳母がいて、この人も秘密を守ってくれる)。この犬の記憶は二十年間消えてなかったわけだ。その挿話もちょっと見てみたかったんだけどな。
昨日今日と、そこそこ仕事はしたのだが、その分ゲーム風に言うと、生命点を削られた。明日のお客さんには申し訳ないが、散らかりつくした部屋でお迎えするしかないかなあ。まあいいか。ひとつ気になるのは、昼ごろ庭に出たとき、カベチョロが一ぴき侵入して、追い出そうとしたが失敗、そのままどこかに隠れてしまった。いいけどね、ここには食べるものもないし、早く逃げ出してほしいんだけどなあ。