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オバマ大統領のスピーチ。

◇やっと今ごろになってオバマ大統領が広島でしたスピーチの全文を読んだ。さすがに格調が高く、すぐれた精神がうかがわれたが、ただふと、彼がヒラリーと大統領選を争っていたとき、九条の会の講演に来て下さった毎日新聞記者の西山氏が講演後の食事の席で、オバマさんへの期待を語っていたのに反論した、私の同僚の女性の教授が「でも、彼の言ってることって中身は何にもないですよ」と言ってたことを、ゆくりなくも思い出した。

まあしかし、同じ中身はからっぽでも、誰とは言わんが、ろくなことを言わない、あるいはろくでもない中身づくしのスピーチよりは数倍ましと思うから、きれいごとでも何でもそれはそれでいい。

◇それより私は、オバマ氏が広島に来て原爆資料館を見ると聞いたときから、何だかもうものすごく変なことでやきもきしていた。めったに口には出せないようなことで。

先日授業で学生たちにも言ってしまったが、私は子どものころ「アンネの日記」を読んで拍子抜けし、何だ大した残酷なことも出て来ないし、戦争の悲惨さやナチスのひどさなんかに戦慄できないやんと欲求不満になった。今ではその普通の少女の(というかアンネは非常にすぐれた才能の持ち主だと、それも今ではわかるけど)平凡な日常が、異常な事態の中で続いている恐ろしさこそが、あの日記のすごさだとよくわかるのだが、それは当時はわからなかった。
むしろ、原爆にしてもホロコーストにしても、戦場にしても軍隊にしても、もっと残酷なむごたらしい写真や記事をいくつも見ていて、そういうものを求めて平和への情熱をかきたてていたところがある。

◇実は私は多分、広島の原爆資料館には行ったことがない。長崎の資料館に行ったのも、比較的最近というか、中年になってからだった。そして、行ってみてショックを受けたのは、そこの展示物のいろいろに、無惨とか悲惨とかいうよりも、妙に暖かいなつかしさを感じたことだった。

考えて見れば、いたずらに残酷さを強調したのではホラーというかグロテスクなものになって、見に来た人にはトラウマになるだけかもしれないから、そこのところは難しいだろう。その点ではアウシュビッツや南京大虐殺の記念館みたいなものの展示がどのようになされているのか、それも気になるところではある。
それにしても、私は長崎の資料館で、焼けただれたさまざまな生活用品や衣類を目にしても、奇妙なぐらい恐怖も悲しみも生まれなかった。本当にただ、昔の日本のひそやかな、つつましい生活の優しさが伝わって来て、夢の中に迷いこんだような、切ない気持ちになっただけだった。

今でもよく覚えているが、私があそこで一番胸をしめつけられ、やりきれない思いをしたのは、出口近くで、戦後から現在にいたるまで世界各地でくりかえされた原水爆の実験の映像が延々流される画面だった。私はかなり長いこと、その前の椅子に座って呆然とそのさまざまなキノコ雲の映像に見入っていた。人間の愚かさと世界の救われなさが、肌に食い入って来るようで、いつまでもそこから動けなかった。

◇人が何に衝撃を受けるかはさまざまだろう。私は戦後のアサヒグラフの特集で見た被爆者の遺体の画像に眠れないほど脅えたし、洋の東西を問わず文学や映画が描いた戦争の悲惨さに強い印象を受けたし忘れない。なのに、現実に被爆したさまざまなものを目の当たりにして、なぜあれほどに鈍感でいられたのか今でもわからない。「アンネの日記」の時のように、やがてちがった感覚で見られるようになるのか、それもわからない。

私が我ながらゆがんでいると、苦笑し脱力しながら、それでも明らかにオバマ氏が広島を訪れ資料館を見て被爆者と会うと聞いて、妙すぎる心配をしていたのは、「そんなに強い衝撃を与えて平和や核兵器廃絶を誓わせるほどのものを、彼に見せられるのかしら」ということだった。
そもそも、ベトナムであれだけ枯葉剤やナパーム弾を一般人の村の上にぶちまけ、中東に爆弾の雨を降らせたアメリカの大統領が、今さらケロイドだの後遺症だのに衝撃を受けたらその方がおかしくはないだろうか。さらにコソボだのルワンダだの世界各地では、たいがいな恐ろしい事態が起こりつづけて来たし、日本がアジア各地でした残虐行為もそれらにひけをとりはしない。ナチスの行ったことだって、そうだ。

ヒロシマが、その中で、どれだけ特別な訴えを大統領にできるというのだろう。もし特別なところがあるとしたら、それは加害者の立場ということだろうが、それはベトナムだって中東だって同じことだろう。どこにアメリカ大統領に与えるべき、新しい衝撃があるというのだろう。そんなことを考えていた。

◇その回答は今もない。この先見つかるかもわからない。
ただ私が、あの長崎の資料館で感じた、なつかしさ、いとおしさを思い出していると、むしろ心にきざすのは、その後の世界でベトナムやセルビアやアフリカや中東で、もっとすさまじい悲劇が数限りなく起こっている中、あの資料館に保存するぐらいの遺品はそれこそ山ほど世界中にころがっているだろう中、あの70年前の悲劇の品々をひっそりと、しっかりと抱きつづけ、保存しつづけていた現地の、日本の、私たちの、えいもうどう誤解されてもいいから言うと、いじらしさと幸せさである。

私たちは、戦後70年、これを上書きするような悲惨さを味あわないですんだ。第二次大戦の死者と犠牲者を悼みつづけることだけに悲しみを注いでいればよかった。もちろん自然災害(原発事故という人災も含んで)を除いてはだが。あらためて、その幸福を思う。平和憲法のもと、一度も戦争と言う名の人殺しに手を染めず、言いようによっては世界の悲惨にかかわらず、能天気に古びた原爆の悲劇の悲しみを凍結保存して、大事に卵を抱くように抱きしめてきた、そうすることのできた幸福を思う。

オバマ氏に伝えられるとすれば、それなのかなとふと思った。戦後、と日本が呼んできた時代、多くの戦争に手を染め、正義と言う名のもとに、原爆以上の悲惨さを他国に与えることに耐えてきた国の指導者に、もし何かを感じてもらえるなら、あの私が足をとどめられた長崎の資料館の核実験の映像のように、限りなくくりかえされる国家規模の虐殺の中、よそならとっくに忘れそうな古びそうな、遠い昔の悲劇をひしと抱きしめたまま平和を守りつづけている人々の存在を知ることが。平和を守るとは、死者を忘れないでいられる、苦しみや悲しみを持ちつづけていられるということでもあるということを、実感することが。

◇オバマ大統領の演説は、たしかに具体的でない。内容が

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