コブラと野球
にせコブラの写真があいかわらず人気なので、何がそんなにいいのかしらと、自分でもときどき開いて見直しているから世話はない。つい名前でもつけたくなる。
そうやって、ながめているうちに、私がこいつをあんまり嫌いでもなくて、ついブログに紹介してしまったのは、何でこんなものを私のブログに出して来られたのか、全然わからないから、私はきげんがよくなったのかもしれないと気がついた。
前にも書いたように、こういうCMはこちらの好みをチェックして送ってくるものだから、雑貨にしても本にしても、以前に検索したものや購入したものを手がかりに、画像が貼りつけられてくる。それが私は何だかうざい。「こういうのがお好みでしょう」「こんなのをお探しでしょう」と言われている感じが、こちらの性格や人間性を勝手に分析、決めつけられているようで、うるさい。
以前、面と向かって「あなたって面白い」「あなたって賢い」と言われるのは、たいがい失礼じゃないかと思うと書いたことがある。「あなたって美しい」も言われたことないが、きっとそうだろうな。「その服いいですね」「今日の研究発表は面白かった」とかはうれしいんだけど、どこがちがうんだろうな。上から目線がいやなんだろうか。言われる人によるんだろうか。小さい子どもが「わあ、おばちゃん、面白い」とか言ったら多分気にならないんだろうな。案外、帰納法みたいなもので、単に「あなた面白い」「あなた賢い」という相手に、いつもろくなやつがいなかったから、そう感じるようになっただけかもしれない。
それと似てるのが、メールで送られてくる署名のお願いだ。なるほどもっともだと思うものばかりだから、以前は全部署名に応じて、ブログで紹介、拡散もしていた。だが、だんだん、何だかいやーな気分になって来たのは、動物愛護、フェミニズム、環境保全、政権批判、まあ要するにたしかに私の主張していることと呼応し共通するものばかりなのだが、「きっと、この人なら署名してくれるにちがいない」と思って送られてくるのが、なぜかものすごく手抜きの片棒かついでいる気分になってきた。
たまには、「憲法を変えて戦争できる国にしましょう」「世界中から慰安婦像を撤去しましょう」みたいな署名でも回ってこないかと思ってしまうが、もちろんそんなのは絶対に来るはずはない。
そういう署名もあるはずだし、広まっているはずなのだ。私のところに来ないと同様、そういう署名をしそうな人のところには、そんなのばかりがどさどさ送りつけられているのだろう。でも私の目には触れることもない。
この状況が、ひどく不安で不快で、私は落ち着かない。ネット社会はものすごい勢いで、こうやって人を振り分け、閉鎖された空間でボルテージを上げ、ちがう意見に触れる場をなくして行っている気がしてならない。
私が仕事に疲れたときに、プロ野球関係のいろんなサイトをのぞく楽しみの一つも、それと関係しているかもしれない。ときどき、書きこんでいる人の個人ツイッターやフェイスブックをたどってのぞくと、同じチームや選手を応援して、まったく同じように一喜一憂して陶酔している人たちが、政治的意見はいろいろのピンキリで、もちろん直接議論などはしないが、それぞれのツイッターでは、まるでちがうことを言っている。そこで、首相をほめたり、野党の悪口を言ったりしている記事を見ると、このバカめがと思っても、それはそれで参考になるし、面白いし、あろうことかほっとする。
昔から私は、同じ好みや意見の人といっしょにいると、安心するより落ち着かない。そうねそうねそうなのよと皆で盛り上がっているのが長く続くと、金魚のようにあっぷあっぷ空気を求めて浮かび上がりたくなる。その場で絶対言っちゃいけないことを、口にしたくてたまらなくなる。コブラのおかげで、しばらく忘れていた、そんな自分の傾向を、あらためて再確認した。何だかなあ。