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ドラマ「シャーロック」関係ムダ話(つづき、これでおわり)。

つづけまーす。

◇第一話で犯人を張ってる食堂で、シャーロックがジョンに愛を告白されそうと誤解して、「そのつもりはない」と気をつかいつつ断り、ジョンが「ちがう、そんなんじゃない」と打ち消すやりとりなど、ここまでやるかと思うぐらいの大笑い場面…なのですが、結局それは、その会話のしめくくりの「君が何であっても、どう生きてもかまわない、気にしない」とジョンが言い切り、それに対してシャーロックが「そうか、ありがとう」と一言返す、このやりとりにつながる。
それは、あまりに自然な流れだけど、二人の名演もあって、それが特にシャーロックにとってはどんなに大切で重要な関係で、それが今、生み出されたことが、ものすごい衝撃と感動で見ている者を圧倒する。

現代なら二人の関係をおちょくられそうな同性愛ネタを、逆手にとって、あくまで目立たずあくまでさらりと、このドラマが描くのは、原作にもたしかにあった、そして人々がそれを長く愛した、この二人の関係、友情、それを支えたもの、その本質なんですよ。
すごい、したたか、自信ありすぎ、制作者たちも俳優も。
彼らが徹底して描きたいのは、そして描くのは、原作の精神、その核になる二人の精神です。同性愛だって現代だって、制作者たちには、あくまでそれを描くためのツールでしかない。
その姿勢のゆらぎなさに、ほんとに泣ける。
だから見ていて感じるのは、原作の偉大さとともに、同性愛が今の社会にきちんと正しく認められつつあるのだという実感でもあります。そんな現代への信頼でもあります。

◇なのでねー、言わでものことですが、私は腐女子と言われる発想やボーイズラブ小説にも抵抗はまるでないのだけど、ネットでときどき、このドラマや二人の関係をネタにした妄想っぽい文章を見ると、珍しく、うんざりします。
汚されたとか、そんなんじゃないの。むしろ、この原作への尊敬と愛を失わないままに、これだけシャープで過激なアレンジをして、それがそのまま原作の精神にはねかえって深まる、というドラマを見たあとでは、そういう妄想がもうどれもこれも、手あかがついて型どおりで何の冒険も新味もなくて、斬新さも工夫もなくて、思わず無能とかバカとかナマケモノとか臆病ものとか、ののしりたくなってしまう。
あれだけ原作を愛して、しかも過激で大胆なドラマに啓発されたなら、嘘でももっと何か考えんかい、既成の枠にしがみついてほんとに「腐って」カビを生やしていないでさ。

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カツジ猫