ルール
◎安倍首相は憲法の戦争放棄の第九条を変えるのに、まず憲法を変える手続きを今よりもっと簡単にしようとして、憲法改正の手続きの条文を変えようとしている。
それを聞いて、「古来、小説でも映画でも、勝てそうにない、望みがかなわないから『ルールを変えよう』と言い出すのは、悪役のすることと決まってるのにな」と思っていた。
◎しかし、それとは関係なく、大変個人的なことで今イライラしているのは、ちょうど今、定期試験の採点中で、ほぼ終わっているのだが、指定した日時と場所以外で、受け取ったレポートがまだどこかにあるんじゃないかという恐怖だ。
これがいやだから、時間と場所(最後の授業の時に教室で)を指定して、それ以外の場所(たとえばそれ以前の授業時間、キャンパスで通りがかりに、あるいは郵送etc)で受け取ったらトラブルの種だから絶対に断ると言っていたのだが、実際にはそうも行かなくて、ぎりぎりになって数名、「その日には来られないから」等の理由で、早めに受け取ったりした。その分が果たして全部確認採点できているかどうか、多分大丈夫と思っても気になってしかたがない。
やっぱり、こんな配慮をしてはいけないのだよなあ。ルールは変えるべきでなかったと痛感している。
いろいろ事情があっても何とか指定された時間と場所に持って来た人も、きっと何人もいるわけだし。
いや、こんなことを書いたらどうせまた、一番きちんとした良心的な人が反省して悩んで、一番どうかしてほしい人は結局何も感じないのだろうから困るのだが・・・「特別扱い」「特例」ということが担当者ひいては全体に、どれだけの負担や被害やストレスを生むかということは一応自覚しておいてほしい。
◎ついでに愚痴を言わせてもらうと、日本文学史の授業で連句を教えて、実作でもレポートとして認めると言っておいた。
すると、なかなか力作の実作レポートもあって面白かったが、その中の一つで、授業もそこそこまじめに受けていた学生なのだが、何と、575、77を交互に続けるべき連句を36句全部575にしている。これは本来は落とすしかないが、まあそうもいかないだろうが、彼らがかけた労力を思ったらまったく、こちらが情けない。
もう一人は、私が何度も連句と連歌はちがうと強調したにもかかわらず、やっぱりごっちゃにしていて、私の連句についての説明と、連歌についての本の記述とを比べて批評するという、まかふしぎなレポートを書いていて、こっちの頭がおかしくなりそうだ。
学生は、何度言っても、「歌」と「句」、「連歌」と「連句」をまちがって使う。最後には私も根負けしてあまり指摘しなかったが、まさかレポートでここまでまちがえて来るとはなあ。
ちなみに、このどちらのレポートの学生も、多分私の授業には満足していて、授業評価のアンケートでは「よくわかった、ためになった」と書くのはまずまちがいない。だから私は学生の授業評価などというものは、絶対に信用しないのだ。