今に続く昔
最近のニュースで、ワクチンを冷蔵庫に入れ忘れて使えなくなり、大量を破棄しなくてはならなくなったとかいう現場のミスが報道されるたびに、どこかまあしょうがないか、そんなこともあろうさと余裕をもって聞いてたのは、まだまちがって人に注射する量とかをまちがえたというなら許せんが、それよりはましという気持ちがどっかにあったからだった。そうしたら、ほんとに適量の数倍だか原液のままだかを注射したというミスも飛び出して、もう笑えない。
このスピードでやっていたら、そういうミスも起こるだろうと思う一方で、ゆっくりやっていたら、かえってミスって起こるんだよな、強行突破で全速力で片づけている方がふしぎとミスって出なかったりするし、とも思ったりする。
私の留守中、猫の世話をしていて下さった方のお一人が、持って来られていたブラシを今日ちょっと使って、猫のカツジの毛をすいてみた。ものすごくよく毛がとれて、カツジもごきげんでうっとりしていた。お天気は定まらないが、そろそろこいつも夏毛に変わる時期のようで、根っこのほうのやわらかい毛が、たくさんブラシにからまって来る。
今、「空想の森」コーナーの方で、「弟たちへの手紙」というのを連載している。私が大学四年の夏休みに、自分の現状を整理しようと思って書いたもので、当時はパソコンなんてないから、すべて手書きの一点物?だ。
こうやって、書き写していると、今はもう人に譲った田舎の広い家の二階にあった十八畳の座敷で、そのころはエアコンもないから、窓から吹き込む風を受けながら、せっせとこれらの文章を書いていたときのことを、思いがけないほど肌で感じて思い出す。今の自分につながるものが、あらかた、この時点でもう生まれているのにも驚く。
私を知っている方というか、私のことをよくわからんと日頃嘆いている方は、ぜひ私を知るために読んでほしい気もする(笑)。また、当時の私ぐらいの若い方にも、読んでいただきたい気がする。書いている内容は大したことはないかもしれないが、こうやって、自分の気持ちを整理して、誰にも見せることのないまま、自分だけのために保存しておく力というのは、私の場合、多分、生きて行く上での最大の武器だった。
この文章は、そのときに書かれたまま、大半は誰の目にも触れることなく(一部は見せたこともある)、そのままになっていた。今回こうして公開できるのは、パソコン時代のおかげだと、ありがたく思うばかりだ。
数日前に、沢田研二の昔の「カサブランカ・ダンディ」の画像を紹介した。そうしたら、同じ歌を歌っている最近の画像もあったので、おっかなびっくり開いてみたら、外見は変わっていても、カッコよさも声も見事で、どうかすると今の方が色っぽくさえあるのに驚いた。「背中のジッパーつまんで下ろす」手つきも、昔よりうまいじゃん(笑)。下のコメントとも合わせて(画面の上の方をクリックすると見られます)、ぜひお楽しみ下さい。