冷たい心
林家ペー・パー子夫妻のマンションが火事になり、愛猫四匹が焼死したというニュースに、ことばもない。そんなに詳しく存じ上げていたわけではないし、お会いすることなどがあるわけもないのだが、かけることばも見つからない。
もし、せめて何かを言わなくてはならないのなら、とにかく今はもう、ご夫妻が冷たい心になられて、ご自分たちのことだけを考えて生き延びていただきたいということだ。まちがっているかもしれないけれど。
もう三十年以上前に、生涯でたった一匹飼った私の犬、白いスピッツのバロンを、私の不注意から熱中症で死なせた。つらすぎて苦しすぎて、ただ自分が生きていくために、私はバロンに許しを請うた。今は忘れさせてくれと。考えないでいさせてくれと。悲しみを封印させてくれと。いつかきっと、思い出せるようになったら思い出すから、悲しめるときが来たら悲しむから、それまでどうか何も考えさせないでくれと。そして、そうした。そうやって生き延びた。涙の一滴も流さずに、やっとそうして生き延びられた。優しくて、賢くて、強い、まっすぐな心の犬だった。彼は許してくれたと思う。そうやって私を支えてくれた。今も支えてくれている。
涙が枯れるほど泣きつくして、悲しみ抜いて新しい日々を作って行く人たちも、もちろんたくさんいるだろう。
私はそれほど強くなかった。今も昔もだ。

学生用に作った自費出版のテキストの中で、「食事の前には読めない本」という一冊がある。古今東西の文学作品の中の残酷な汚い描写を集めたもので、カルチャーセンターや大学の講義で何度か使った。当時から「我慢できなくなったら途中退席してもいい」と言って使っていたが、今ではそれでも、パワハラと抗議が出そうで、まったく使うことはなくなった。
その本の「あとがき」で、私はこれを書いた理由について述べている。コピペができないので申し訳ないが、できればその「あとがき」だけでも読んでみていただきたい。カルチャーセンターに来られていた、ある奥さまの思い出である。その方にも、私は生きていただきたかった。冷たい残酷な心で自分を守っていただきたかった。