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原爆忌あれこれ

昨日は広島の原爆忌だった。忘れていたわけではなかったが、ぼんやりしていて、式典は途中から見た。朝から熱波で、そのせいか、式典は短めに終わったようだ。まあいつもこのくらいだったかしら。
 けれども中身はしっかりしていて、市長は核禁条約に日本政府がまずはオブザーバーとしてでも参加することを強く訴えた。知事も、子どもたちの代表も通り一遍ではなく、自分たちに今できること、これからするべきこと、ひきついで行く責任などをきちんと示して、未来への道筋を見通させてくれた。贖罪とか追悼とかいうしめっぽいものではなく、熱い力がただよっていた。

高市首相のあいさつは、最近支持率が落ちていて、やることなすことあまり受けないのを自覚しているからか(まったくの偏見で悪いが、この人はそういうことは論理としてはわからなくても、感触で感じるのではないかと思う…いや、感じてはないのかな、うまく言えないが)、無難なあたりさわりのない内容で、何で私がほっとしなくちゃならないかわからないが、やれやれと胸をなでおろした。ただ、一か所気になるのは、非核三原則は堅持する唯一の被爆国としてがんばるとか言いながら、「現実的な判断」をするとかなんとか口にしたことで、小泉防衛相もそうだけど、この人たちの「現実的判断」って、長いものに巻かれて根本理念はふみにじるってことだからな、だいたいの場合。そのへんから、なしくずしにしようとしそうな気がするよ。

まあさ、深夜にEテレで「映像の世紀」を見ていて、日本国民がずるずる戦争に巻き込まれて熱狂して行く様子を当時のフィルムで見ていたら、穏健派で戦争には慎重だった近衛文麿首相(母がこの人のファンで、「推し」なみに新聞の切り抜きとかしていたのが残ってた。母は面食いだったから、彼の品のよい風貌に魅かれたのだろう。敗戦の時に自殺した最期を見ても、母のミーハー精神はどこかでまちがってなかったようでもある)に対して好戦派の東条英機が、戦争へのめりこんで行く演説をする時に、ちゃんと?「平和を守るために」と言ってんだよね。ぬけぬけと。あー、いつもそうなんだなあ、お約束なんだなあ、これだけ戦争やろうと国民あおる時でも、政治家は絶対言うんだ「平和のために」って。

何かものすごく勉強になった気がする。スローガンやら決まり文句やら言い訳やらを頭にくっつけて、しゃべりさえしたら、それに続いて何をしても言っても聞き逃して見逃すんだよね、ついつい私たちは。メモメモ。

それにしても、これは好みの問題だけど、首相のその特徴のないスピーチ聞いてて、一番参ったのは、内容以上にその表現だ。いやもう多分悪気はないのだろうけど、何でその、せっかく、わりとフツーのことしか言ってない(ほめてる)スピーチに、あんなに変な安っぽいメリハリやら抑揚やらつけるの。下手な女優さんじゃあるまいし、こっちが聞いてて恥ずかしいというか、身体をくねくねさせたくなる。

知事さんは女性で市長さんは男性だったけど、どっちもはっきり明確に話して、その内容の重みも、こもる気持ちもびしばしちゃんと伝わった。首相だけどうしてあんなに、こっちがもだえたくなる、感情移入のうわっ滑りなちゃらけた語りをするんだよ。言ってる内容さえもわからなくなるぐらい、気持ち悪くて嘘っぽい。いや多分悪気はないんでしょうけどさ。いかん、書いてる内にまた思い出して来ちゃった。

ところで思い出したけど、もう何十年も前、名古屋の大学に勤めてたころだから三十代かな、友人と二人で夏休みにシベリア旅行に行ったのよ。当時はまだソ連だったけど。モスクワやレニングラードも回って、いろいろ感じることも多かった。街の中ではアパートの中庭に大きな猫が何匹もいて、おばさんがエサをやって引き止めててくれたりしたっけ。

ツアーの添乗員はソ連の若い男性で、日本語ももちろん上手だった。旅の途中でその彼が、「今日はヒロシマに原爆が落ちた日ですね」と言って、一応学生運動も平和活動もやってきて、私なんか毎年原水爆反対の署名とカンパを街頭でやってたというのに、二人ともその日がそうだってこと全然忘れてて、ただ「あ~…」ってあいまいな返事しただけで、彼もそれ以上は何も言わなかった。

恥ずかしかったわけではない。彼がどう思ったかもわからない。とにかく完全に忘れていて、そのことに自分でびっくりした。あとで友人と二人で、そのことを話題にもしなかった。なのに、今でも、いつまでも覚えているのは何でだろう。

ひとつ、ぼんやり感じるのは、もしかしたらその頃の原爆忌って、ちょっとマンネリっぽいというか戦争反対も原水爆禁止も、もうとっくに常識となって定着して、過去のものになりつつあったんじゃないかってこと。もちろん被爆者の方々の苦しみはその間も寸時も変わってなかったはずだし、でも、その人たちそのものが、もう原爆で何か新しいことを訴え、人々の関心をよみがえらせるためには、どうしたらいいのか、わからなくなってることも苦しみの一つだったんじゃないかって気もするのです。

いくら私たちが人権や平和に敏感で良心的であったとしても、大昔の宗教裁判とかトロイ戦争の犠牲者に対して、感情移入して自分のこととして考えるのは難しい。どんな戦場もいつかは古戦場になり観光地になる。そういう切なさや虚しさや哀しみもあったような気がするのです、あのころの原爆忌には。

そう思うと、ここ数年で事情はまったく変わってしまった。超大国はまじめに核兵器の使用をちらつかせ、原発事故は各地で身近な存在になっている。核の恐怖は現在の私たちにも未来の子どもたちにも遠いものではなくなってしまった。この生々しさ、未来に直結した過去。もはやそれは、化石化して薄らいで消えて行く存在ではない。すぐそこの未来に横たわる巨大な恐怖である。誰もが直面せざるを得ないほどにだ。それを絶望と思うか希望と思うか。不幸と思うか幸福と思うか。正直私には、実感として、よくわからない。

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カツジ猫