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原爆忌のことなど。

◇原爆忌で井伏鱒二の「黒い雨」を思い出し、映画と田中好子を思い出し、この映画が公開の時のインタビューで、どっかの女性週刊誌記者が、当時彼女がつきあってると言われてた男性のことにひっかけて、「ヒロインは原爆症で結婚できないと悩んでるわけですが、同じように結婚できない人とつきあう状況をどう思いますか」みたいな、下世話でくだらん質問して、映画にも原作の小説にも原爆の被害者にももちろん女優にもその名演技にも監督にも私にも、泥水と大小便をひっかけてくれたような質問をしくさったのを、今でもまざまざ思い出せて、あらためて激怒し、自分のしつこさも再確認しました。

その記者のケーハクな声と口調までありありと耳に残ってんだから、私もたいがいだよなー。
あの時期、ってか今でもか、「映画の公開にあたっての記者会見なので、個人的な質問は受けつけません」なんてインタビューの条件があって、だから映画の内容にひっかけて、そーゆー姑息な質問する手法も一般的だったわけだけど、そのどっちもが何だかしんからうんざりさせられて、あーまたかよ、やっぱりそーかよという不愉快さもふくめて腹立たしく、実はそれであの映画、私は映画館で見なかった。

あとでビデオかなんかで見て、監督も女優もほんとに渾身の仕事をしていて、いろんな個人的なこともその演技に昇華させたんだろうなとよく理解でき、痛感し、それだけに、あのくだらないを通り越した下卑た質問に、どれだけ傷ついただろうかと思うだけでも、いたたまれなかった。
もう、感情的に言っちゃうと、ああいう質問して、させて、恥じない精神ってやつが、結局は原爆投下や核戦争も起こす精神につながるんだとさえ思う。

テレビや週刊誌やマスメディアが、ああやってとことん下品になってったのは、先日亡くなった前田武彦さんが画面から消えさせられたあたりからだったような気がする。
彼は大阪の共産党の候補者沓脱タケ子さんの選挙応援演説に行って、「当選したら僕の番組でバンザイします」と約束し、その通りに番組の中で、でも具体的には言わないで「今日はうれしいことがあったから、バンザイします」みたいな言い方でバンザイしたのだったと思う。それがとがめられて、徹底的にテレビ界から葬られ、生活にも困る状況になったはずだ。

当時彼と同じように、政府を批判する大胆な発言をくりかえしていた大橋巨泉をはじめとした、いろんなテレビ界の人たちも、共産党も、彼をまったく守ろうとしなかったのに、私は驚きと悲しみを感じつつ、マエタケさん自身がそれを固辞したのかもしれないと思ったりした。そういうことを十分に予測させるお人柄だったから。

あれは日本のテレビ界、マスコミ全体が、それまでと大きく方向を変えて行く時期の象徴だった。彼の状態を見ることは、同業者にとって、ものすごいプレッシャーであり、その点で彼は見せしめのためにもあれだけの扱いを受けたのだと思うし、その影響はすごく大きかったし、良心的な人たちへの脅迫として大きい力を果たしたと思う。
マスメディアが右傾化したとか言うならまだしもわかりやすかったろうが、そうではなくて、ただひたすら軽薄になり、すっからかんになり、ゴシップとスキャンダルにあけくれた。

ちなみに、その傾向をドラマで痛烈に批判したジェームス三木が、その後これまた女性スキャンダルで大々的にたたかれたのも、そこまで行ったら考えすぎだろうが、井上ひさしが離婚した際の何だか過熱気味だった報道も、すべて私は、政府にさからい戦争に反対する人たちへの綿密な攻撃に思えてならなかった。
その結果、まともな人たちの多くは、テレビや週刊誌をまったく信用しなくなり、興味も持たなくなり、それしか情報源がない層との断絶がどんどん進んで行ったのは、よかったのか悪かったのか、私にももうわからないけれど。

前田さんは筋を通した清冽な生き方を、最後まで貫かれた。それはむしろ、うらやむべきことであり、今ではもう許されないぜいたくなのかもしれない。ご逝去を悼むとともに、その遺志をつぐと言ったら大げさだが、そういう生き方に少しでも近づけるように生きたいと、あらためて願う。

◇「ゲド戦記」のDVDを借りに行ったら、「動物農場」なんて外国アニメが出てたんで、これもホイホイ借りました♪
でもって、ゆうべ「ゲド戦記」見たけど、なかなかよかったです。これのどこがいったい、当時は不評だったのかなー。すごく、見ていて快く、いろんな意味で満足しました。感想はまたあらためて。

◇キャラママさん。
「阪急電車」の感想つうか悪口は、この前の夜、かなりしゃべってしまったけど、あらためて、ここにも書きます?(笑)

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カツジ猫