古傷なめなめ
ひょんなことから、なぜか冷蔵庫の中に、きゅうりと卵が大量にある。ミニトマトもそこそこ。まあ、大量の安売りをすかさず買って来ていた結果だが、当面はこれらを急いで消費してしまわなくてはならない。と言っても、どんな料理があるのかなあ。さすがにそろそろ飽きても来たし。
例のキャベツだか白菜だかのケットは、軽さと言い薄さと言い、見た目と言い、なかなか悪くない。いっそもう一枚注文してやろうかという、とんでもないことを考えている。
自費出版の「断捨離」シリーズを、電子書籍だけでなく紙本でも出そうと思って、月末までに一気に四冊分、校正を仕上げようとはりきっていた。
さすがに第四校だし、ほとんどというか全然まちがいがないので、一気に仕上げられるかと楽観していたのだが、最初の「断捨離停車駅」の最後の方は、数年前に田舎の書庫の本や資料をひょんなことから、全部処分されるという、痛恨の体験を記したもので、そろそろ十年近いというのに、読み直して追体験すると、もう昨日のことのように、あらゆる傷口から血が吹き出すような苦痛と疲労で、少し読んでも動けなくなり、涙も出ないで、うめき声しかこぼれないという有様。自分でも情けないと思いながら、仕事がまるで進まない。
築き上げて来た過去も、見はるかしていた未来も、一度に奪われ、踏みにじられて消えた日々。しかも、そうした相手を憎むにも憎めない虚しさ。
あの数年後、私は大病をした。その結果、更に体力を奪われて未来も狭まり復活も難しくなったことが、偶然だったか必然だったか、今はそれさえわからない。
そして、石にかじりつく思いで校正を進めていたら、おそらくこれまでの何度かの校正でも同じ思いで力尽きたのだろう。最後に近く大きなミスが見つかって、校了は今回は無理とわかった。これを訂正して、第五校で仕上げるしかない。
とにかく今は、前進する。こんなところで、あきらめてなるか。

少しずつ、高市内閣退陣のデモや集会が報道され始めたようだ。それがよっぽど気に入らないのか、Yahooのコメント欄は、判で押したような反論が山ほどくっついている。どれもこれも同じ過ぎて、これがそれこそ政府かどっかの金にあかせての世論操作でないとすれば、クローンかロボットか、これだけ似たような論理と思考の持ち主がいて、それがそろいもそろって、同じような長さのコメントを書いてくるのが、どう考えても異様である。もしかしたら、報酬をもらう字数が決まっているのだろうかと、あらぬ想像をたくましくしたくなる。
政府の方では小泉防衛相の劣化ぶりがひどい。もともとそーゆー人なのはわかっていたとは言え、沖縄で米兵の性犯罪が起こっているのに、コメントひとつ出さないというのは、しょうもなさが、すごすぎる(笑)。
奥庭のユリは、切ってきてさしていたら、最後までつぼみも全部開いた。見ているだけで、心がはずむ。毎日真夏日だというが、吹き込む風は涼しくて、何とかエアコンなしでもしのげる。
いただいた青梅で、梅酒でも作ってみようかと、未知の体験に挑戦したくなっている。母家の冷蔵庫に、かちこちにかたまった、大昔の砂糖の塊があり、あれを処理できたら、どんなに気持ちがいいことかと、つい夢想してしまう。
そう言えば、見逃したと思っていた、NHKのライオンの生態を追うドキュメントの最終回を、今朝たまたま見た。いやー、いろいろ面白かった。三匹の雄ライオンの誰が群れの王者になれるかという話だが、やる気のあってカッコいい二匹ではなく、コミュ障(笑)で甲斐性のない変な一匹がそれなりの生き方を貫いて行くのが、おかしくて楽しくて、妙に笑ってしまった。以前、動物園に遊びに行ったとき、記念に買った、ライオンのぬいぐるみを玄関前の椅子にいつもは座らせていたのだが、成人したライオンたちのあまりのカッコよさに、思わず、そのぬいぐるみを抱いて来て、ベッドで並んでいっしょに見た。死んだ猫のカツジたちも、そのへんにいると私は思っているので、彼らが何と思っているかちょっと心配ではあったけど(笑)。
