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学者の責任

昨夜の「報道ステーション」では、野田総理がTPP参加表明を一日遅らせたことについて報じていました。私の目が偏見と先入観に曇っているのか知れませんが、何かその報道のしかたは、どうせ表明するのに一日延期は意味がないし、反対派だけが妙に浮かれているという印象を与えようとしているようで、「まだよくわからないので、勉強してから賛成反対の姿勢を示したい」と言っている、古舘キャスターのことばとは微妙にずれていました。

いや、絶対に中立公正な報道などあるわけがないし、その後のタイに工場を作って海外進出している町工場の奮闘のニュースといい、先日の先進医療のニュースといい、古舘キャスターの意志はともかく、番組全体が、開国しないとだめですよ~、TPPで海外に打って出て自由化すれば明るい未来がありますよ~と国民に洗脳とまではいかずとも宣伝する方向で、番組を作って行こうとしていたのは、たった数回見ただけで、私にも何となくわかるんですけどね。

野田総理を期待も信頼もしているわけではありませんが、均衡や融和をモットーとするらしい総理が、たとえ姑息でも意味がなくても表明を一日延ばさざるを得なかったのは、それだけ反対する人たちの声の強さがあったのだと思うし、農業、医療、その他の分野での現場の意見が微力ながら反映された結果と私は思っています。

だいたい、「まだ情報がなさすぎる」「結論が出せない」と言っている段階で、こんな重要なことをあっさり表明するもんじゃないですよ。「撤退しようと思えばできる」などという理由が説得理由になっているのも、あまりに情けなさすぎる。

古舘キャスターなり報道ステーションなりの、「まだわからない、勉強してから」も、どうかとは思いますが、しかもそう言いつつ、それとなく明らかに参加推進の雰囲気をただよわせるのは、もっといただけませんが、まあ、姿勢としては「わかるまで待って」もあり得るでしょうね。だったら、この問題自体に国全体で、どうしてその姿勢をとらないんですかね。

ところで、その勉強のための議論にあたって、これは原発問題もそうで、事故以来また今もそうなりかけていて、つまり「反対派と賛成派とくっきり分かれてしまうから、激しい議論の応酬になって困る」という姿勢をマスメディアは、あっちこっちで当然のように言うんですが、それの何が困るの。
その一方で、学者や識者を、とにかくあっちとこっちに色分けしてレッテルをはって、初めから両陣営で見ようとするし。

安心したいんでしょうか。レッテルをはり、敵味方を区別し、できればどっちかを悪役にして正しい方を教えてもらって、自分は正しい方で怒ったり嘆いたりしたいとか?
正義の側に立つのには、それなりの努力や犠牲が必要です。手軽に手に入るものではない。何が正義かなど、本当のところは誰にもわからないのだし、選択と決定には、危険をおかし、頭と時間とエネルギーと人間性を使わなければならない。
その労力を惜しんでどうするんだろう。小学生に株の買い方を教えるよりは、そういう選択能力を教えてほしい、まず何よりも。

私は本を書いたり講演したりするときに感じますが、特に最近の研究者は「知らない」「ここがわからない」「まだ決められない」と言うことが許されない。何でも知っていなくてはいけないし、すべてに結論を出さなくてはいけないし、未知の部分があれば信頼されない。
これは大間違いもはなはだしい。何でもわかってしまったら、学者はもう学問をやめますよ。研究している人ほど、「まだわからない」「調べていない」ことがふえる。

それを許さず、すべてに自分なりの結論がないと許さない世間や社会があると、たとえば原発反対派賛成派どっちの学者も、自分の自信のない分野でも、何かを断言しなくてはならなくなる。そうやって、絶対確実なことと、そうでもないことがあいまいになり、「勝つための」議論が先行し、世間も色分けして学者をたたく。

極端にしかし当然のことを言えば、学者に原発を作れとかやめろとか意見を言う責任はない。TPPへの参加についても。ただ、わかる範囲の資料を提示して、それをどう解釈し現実の政策として応用するかは政治家や国民の責任です。

おお、もう仕事に行かなければ。あとはまた、夜にでも。

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カツジ猫