寒く成る様ですね
十二月だから無理も有りませんが、矢張り寒いのは嫌ですね。
母は車椅子も使わず歩いて食事にも行ける様に成りました。でも昨日は熱が少し有った様で、食事は部屋で取った様です。
今日は元気な様でしたが、何処と無く詰らなさそうで淋しいのかも知れないと思ったりします。
叔母の時もそうだったのですが、私が注ぐ愛情が止った途端に萎れる様に人が衰えて行くのが手に取る様に分ります。其れが嫌と言うよりも、愛情を注げば見る見る元気に成るのが此方も嬉しくて心を注ぐのですが、其れが過ぎると今度は私がへとへとに成ります。
介護する方が限界に来た時、介護される方も自然と力尽きる、其の時は自然に訪れると聞いた事が有ります。次第に其れを実感して居ます。
何時間か母の部屋に居てやる事も有るのですが、御互いにもう余り話をする気力が無いのです。昔実家で母が私が帰らないと機嫌が悪いので私は怒って「側に居れば良いんでしょう」と数時間黙って何もせずに母の前に座って居て、心の中で全力で母を呪い続けて居た物です。しかし今は其の様な怒りも無く、只疲れが襲うだけで、二人とも半ば死人の様にぼんやりして居るだけです。
まあ此れは此れで良いのかも知れません。
母は今でも「私は此処に居て良いのね」と念を押したり、「帰るという事は誰にも言わないで居る」と言ったりします。何とか言い方を工夫して私と一緒に何処かに帰る事を私に認めさせようとして居るのが分るので疲れますが、此れにも慣れる他無いのでしょう。
知合いの方に伺っても、此の様な施設に入った親は子供に連れて帰って貰いたがる様ですが、もうそんな生活の場は何処にも無く成って居ると言うのに、そして現在の施設で充分に世話をして貰うだけでも其の費用で介護する側の生活は圧迫されて居ると言うのに、何を夢見る余地が有るのかと、本当に腹立たしい思いです。
いっそ一度私の仕事場に連れて来ようかと思って居ます。がらくたの中で寒さに震えながら立った儘食事をして居る私の毎日を見たら、此処に来るのは無理だと諦めもつくかも知れません。