悪徳保険会社じゃあるまいし。
◇イスラム国の人質事件に対してデヴィ夫人だのホリエモンだの、多分聞かれもしないのに「身代金は払わないでいい」と言ってる人が多いですねえ。せめて詰問されて、不謹慎ですがナイフでもつきつけられて「どう思うか本心を言え」と迫られてから言っても全然遅くないことだと思うんですけど、あえて皆がこんなこと口にする、この状態がとても不思議です。異常とか恐いとかを超越して、ただもう不思議です。
何だか、セクハラ事件があった時、職場や学校の同僚で、自分もいつ被害者になるかわからない人たちが、けっこう被害者に厳しくて「本人に落ち度があった」と言う傾向がある、という話を思い出しています。多分それは、「誰でも被害者になる。悪いことをしていなくても、どんなに用心していても、避けられず、被害者になる可能性がある」ということになると、あまりにも恐いので、「被害を受けた人には原因がある。責任がある。自分はちがうから大丈夫」と思っていたいからなのだろう、と私は解釈していたのですが。
しかし、こんなのは、セキュリティ対策としてもなってなくて、常に最悪の場合を予想し、自分がそうなったらどうするかを考え、その時に周囲や社会にしてほしいことを、自分がたまたま運よく被害者でなかった場合に、身代わりになってくれた人を利用して、とことんそういう時の自分にとって都合のいいシステムを、今のうちに構築しておくことが、最高の自己防御なんだと思うんですけどねえ、私なんかは。
救ってもらえるハードルを、どんどん低くしてしまってどうするの。「あんな人でも救ったんだから、私だって救ってもらわなくちゃ困る!」と、いざという時堂々と言えるためには、めちゃくちゃしょうもない人をこそ、救ってもらっておく方がいいに決まってるじゃありませんか。あ、今度のお二人がそうと言うのじゃないですが。
ただ、本当に何かもう、こういうとこの感覚が私は皆と逆で、私から見ると皆が逆立ちしているように見えてしかたがない。生活保護にしても最低賃金にしても、自分がいつそうなるかわからないのだから、どん底をこそ、精一杯快適なものにしておくのが一番安心なのに、自分は絶対そこに落ちないという前提で、そこにいる人を敵視するのは私に言わせりゃ甘いとしか言いようがない。どうしてそんなに自信が持てるの。
◇それに輪をかけて本当に不思議でならないのは、愛国心とか韓国や中国に比べて日本人は素晴らしいとかふだん言っている人たちが、必ずしも「韓国人や中国人の二百倍も千倍も価値がある貴重ですばらしい日本国民を一人でも殺させてはいけない、絶対に救え!」とか、あんまり言ってないように見えることです。その内に、ひょっとしたらもうどっかでは、「あの二人は日本人じゃないから救わないでいい」という説が出て来るのかもしれないですがあまりそういう気配も見えない。むしろ、そういう人たちでも、危険地帯にうかうか行くようなバカは救わないでいいとか言ってる。そんなねえ。
ここでまた私といろんな人との感覚が大きく食い違うんですが、私は日本人が他国の人と比べてそう好きでもない…というか、他国の人をそんなに大勢詳しく知ってるわけじゃないから、比べようがないし、日本人でもゴキブリの方がまだかわいいと思うほど、気の合わないやつはいっぱいいるからな。
それでも、そんな私でも、ちょっとは日本人が好きだとしたら、どんなアホでもバカでも日本人である以上、好きだし大切だと思う。教え子でもわが子でも猫でも犬でも、かわいくて賢くて気立てがよくて有能なのなんか放っといても努力しなくてもかわいい。手のつけられない出来の悪い、蹴って殺して庭に埋めたろかと一日三回思うほどの相手をそれでも愛して守ってこそ、教師でしょ親でしょ飼い主でしょ。
日本の国を愛するなら汚れた歴史も愛しなさいよ。日本人が好きだったら、へましても失敗しても自分が気に食わないことを言ったりしたりしても許しなさいよ愛しなさいよ守りなさいよ。国を愛する同胞を愛するって、そういうもんじゃないんですか。
◇今回の人質のお二人なんて、保守や右翼の方から見ても、特に気に食わない要素はあまりない。前の三人の場合には、その経歴や肩書で左翼だとか過激派だとかさんざん難癖つけていた人も多かったけど、今回はそれほどのことはない。それでも、禁止されていたところに行ったのが悪いというのから始まって、本人が覚悟しているからとか何とか、とにかく救わないでいい理由を皆があれこれ必死でさがしてる。
これって、ひょっとしてあれかな、どうせ救えないだろうと思うから、そうなった時の言いわけに、救わないでいい理由を探しているのでしょうか。自分の無能さや限界や申し訳なさをかくすために。見ないでいるために。臆病者の卑怯者。だめもとで死ぬまで希望を捨てずに、ばたぐるって失敗してこそ、まだしも力がわくんでしょうに。背を向けて目をそらして座りこんでる理由をあれこれ探している内に、精神的な基礎体力ってどんどん落ちるのを知らんのか。個人的にも、国民的にも。
私は、どっちかというと、国家とか国民とかいうものに無関心な人間ですが、常日頃そういうことに熱心で国民としての団結や、民族としての優秀さを説いて、信じている人なら、国民のすべてを国家が救うというのはそういう考え方の大前提にあるんじゃないのですか。国に守ってもらえると信じているから(私は信じておりませんが、そうあるべきだとは思っています)国を愛せるんじゃないのですか。首相だって政府だって、自衛の防衛のという時にはいつも、国民を守るためと言い続けている。まあ多分守ってくれるんだろうから、基地も自衛隊も秘密保護法も消費税もしょうがないんだろうと、皆何となく考えている(私は考えておりませんが)。
なのに、こういう事件が起こるたびに、その人に落ち度があったからとか、その人は覚悟しているからとか、いろんな理由をくっつけて、守る対象からはずそうとやっきになる。もうね、マイケル・ムーア監督の映画に出てくる保険会社が、ノミの糞みたいな小さい字で書いた条項を理由に、あれやこれやと難癖つけて、払うことになってた保険料を絶対誰にも払わないのと、そっくりすぎて笑えもしない。保険会社のこのような強い決意のもとでは、保険金を受け取れる人なんてまずいなくなってしまうように、こういう姿勢でアラさがしするなら、どんな事態になってもましてや戦闘状態になったりしたら、国に救ってもらえる国民なんて到底いるとは思えない。それでも皆、見殺しにされて死んでく人を見ては、「あの人はそうなって