人質事件に関して(続き)。
◇あと、これを最初に書くべきだったかもしれないけど、人質になっているお二人について。
お二人についても私はネットで読んだ情報でしか知らないから、どこまで正確なのかわからないですけど(あ、毎日新聞も書いていたから、まあ大丈夫なのかな)、湯川さんの方は倒産とか奥さんの死とかいろいろあって、自殺未遂とかもして、模索の果てに武器関係の会社や何かで中東に深く関わり、一度拉致されたこともあり、今回さらに危険な地域に入ったとかいうことらしい。
ジャーナリストの後藤さんの方は湯川さんと知り合っていて、その人柄も知っていて、何とか救いたいと現地に向かってこういうことになったのらしい。2ちゃんねるの掲示板では「半額払って後藤さんだけでも救えないか」と本気か冗談か書いている人もいました。
◇身代金を払うべきではないという意見はかなりあり、それはテロを助長させるだけだし、今後ますます邦人が誘拐されるだろうとか、二人はそれぞれ、それなりの覚悟があって行ったはずだと言う人も多い。
ここの判断は、ぎりぎりのところ私にはつかない。国によっても対応はちがっているようだし。
ただ、身代金を払わないにしても、それならなおのこと、ありとあらゆる手段をつくして、この二人を救出しなければいけないと、私にはそれだけはわかっている。
何か方法はあるはずですよね。仲介者を探すとか。イスラム国に払っちゃまずい身代金でも、そういう仲介者に払うのはかまわないのじゃないのかしらん。
自衛隊の派兵とかはきっと効果もないでしょうが、そういう可能性だって考慮しますよ、私は。そこまで言うかと言われそうですが。
つまり政府も野党も国民も、あの二人を絶対に助けるという前提で、死に物狂いの努力をしなければいけないんです。
◇何をそう必死になるのかって、それは日本を守るためであり、私を守るためでもあるからです。
前に、香田さんという青年がやはりテロリストに拉致されて殺されて、その映像が流れました。私はその後、彼のことについて書かれた本を買って読んだのですが、その時受けた印象は今回の湯川さんの経歴を見たときと似ています。湯川さんの人生の方がずっと波乱が多くて激しいですけれど。
湯川さんは田母神氏と握手している写真もあって、私とは多分考え方も生き方もちがいます。それでも、自分の打ち込めるもの、自分にふさわしい生き方をさがして、努力し、挑戦しつづけていた。あきらめないで、がんばっていたのです。
こういう若い人は、日本にも世界にも、きっとたくさんいるでしょう。昔も今も。何かのはずみで私自身もこうしていたかもしれないし、イスラム国に参加する若者たちの中にも同じような心情の人は、きっとたくさんいるでしょう。
そういう人を救わなければいけない。私たち大人は。老人は。「絶対に救う」と言わなければならない。
◇前にボランティアや取材に行っていた三人の若者が拉致されて解放され、帰国したとき、同じ若者をふくめて日本の社会は彼らに冷たく、「自己責任」という言葉が盛んに言われました。
あの時、多くの若者たちが彼らに冷たく残酷だったのは、三人が社会に積極的に関わり活動していることへの嫉妬が憎悪を生むのだという分析もありました。
そうかもしれないけれど、そこは私にはまだよくわからない。
ただ今回、おそらくは同じ若者たちが、特に湯川さんに対して「殺されてもしかたない」「身代金払ってもらって帰って来ても、針の筵で生きてはいられないだろう」などと書いているのを見ると、私は何だか切なくてしかたがないのです。
前回の三人の時のような嫉妬や憎悪はあまりないようにも思うのですが、それにしても、「国も、社会も、誰も、決して湯川さんを助けはしないだろう」というあきらめが、そこには見えるし、それはそのまま、「自分たちだって、どんなに一生懸命がんばって挑戦しても努力しても、それで失敗したら誰も決して救ってはくれないだろう」という確信でもある。
私のせいだ、私たちのせいだ、と私は思わずにはいられない。
ここまで大人や老人や政府や社会に期待しないで、自分がどんな目にあっても、誰も救いには来ないし、救われたら救われなかった方がましと思うような目にあわされる、と思いこんでしまう若者たちを、どうやって私たちは作ったのだろう。どうやって、ここまで彼らを絶望させてしまったのだろう。
◇錯綜する情報が、どこまで確かなものかはわかりませんが、そしてこの苦しい状況が、最悪の結末を迎えないという保障は残念ながらないのですが、でも、私は今、そんな湯川さんを救い出すために、後藤さんが赴いたということが、湯川さんにとっても、同じような若者たちにとっても、どんなに大きな救いだったかと思うのです。
たとえどんな結果になったとしても、そういう人がいたということが。
だからこそ、そんな二人を救うために、どんなにわずかな望みでも、私たちは全力をつくさなければならない。
彼らを見殺しにし、無気力になり、目を背けることは、今、日本の内外にいるすべての若者を見捨てることに他なりません。あなたたちがこうなっても、私たちは何もしないよと見せつけることでしかありません。そんな国を、大人たちを、自分自身を、若者たちが愛せるでしょうか。私たちもまた、そんな自分を愛せるでしょうか。
失敗した若者を、それを見捨てず救いに行った人を、私たちが見捨てることは、私たち自身を見捨てることです。
実際には何もできることはないかもしれない。ただ、祈るしかないかもしれない。それでもいいのだと思います。
あるいは、政府に、あらゆる機関に、真剣にあきらめず前向きに努力することを、あらゆる方法で訴えることだと思います。
イスラム国に直接メールで話している人もいるようで、それはかなり危険なことですが、どうせ軽率に面白半分にやらずにいられないのなら、せめて二人を救うためにどうしたらいいのか考え抜いてみてほしいと思います。