日ハムとホークス
プロ野球の日ハムの選手の暴力事件が、移籍した先で活躍というかたちで結着しそうなのに、そろそろいろんな人の批判が出て来ている。処分の甘さという点では、これでは大相撲の世界以下だと言っている人もいる。
ソフトバンクホークスの地元だから、いやでもホークス関係のニュースは入ってくるのだが、それ以外のプロ野球チームについては、詳しくない。ただ何となくバラエティなどで見ていても日ハムのチームの雰囲気は悪くない気もしていたし、どちらかと言うと好きなチームだった。下の画像のいろいろで見る、ホークスと似たような雰囲気なのだろうと、何となく想像していた。
それが必ずしもそうでなかったらしいこと、暴力やいじめが存在していたこと、それが監督の自由で大らかな指導方針の結果、許されていた面もあったらしいこと、に、今さらながら教育や管理というものの難しさに愕然とし、ため息が出る思いだ。
以前、プレミア12の映画「侍の名のもとに」の感想の最後でも書いたことだが、私は稲葉監督の選手への態度が、昔とちがう新しいタイプの指導者として、信頼できるし、これが定着して行けば、未来は明るいと思っていた。そして、それと対照的に昔ながらのスパルタ式の指導をいまだに続けているかに見える巨人の様子に、不安を抱いた。
ブログでは未公開だが、かつて、こう書いたことがある。
そして、日本シリーズでそうやって作り上げられたチーム(ホークス)に完膚無きまでの敗北を喫した巨人は、再生の道を探る迷走を続けながら、古色蒼然と言いたい昔ながらの精神主義のスパルタ教育で活路を見出そうとしている。
それはおそらく、同じ野球人として、同じ若者を育てる指導者として、王貞治会長や工藤公康監督が巨人に望む方向ではないだろう。
口はばったいことを言わせてもらえば、私の気持ちも同じである。
今回の当該選手の移籍先が、その巨人だということに、なおまた、もやもやする。
ホークスが、なぜこういう雰囲気を作り上げられているのかはわからない。私の亡母が「王はマジメやもん」と二言目には言っていた王会長や、孫オーナーをはじめとした首脳陣や、ベテラン選手たちの存在も大きいのだろう。中堅や若手の中に点在する、まじめすぎるほどの精神も見逃せない。それはまた、長い歴史の中で受け継がれ、築かれてきたものでもあるだろう。
しかし、いずれにしても、民主主義や学校でのクラス運営や平和な社会と同様に、それは常に意識して、点検し、気をひきしめて守っていなければ、どこからか腐敗し、あとかたもなく崩れ去るものでもあるのだろう。はじめからあったものでもなければ、いつまでも続くと約束されているものでもない。今回の件でつくづくと、それを思い知らされている。
(下の画像は、タイトルをクリックすると大きくなって、コメントも見られます。)