映画「グランド・ブダペスト・ホテル」のこととか。
◇わっわっわっ、すみません! 昨日なくなったと思ってた猫の食器はちゃんとありました。みけねこシナモンが亡くなる直前、あまり何も食べなくなったころに、彼女用に使っていたのですが、もう一個あったのを、カツジ猫のドライフード入れにしていたのを忘れてました。
あー、「取った人は返して下さい」の貼り紙を窓に貼ろうかとか、持って行った人と飼い猫に呪いをかけたろかとか、ろくでもないことをいろいろ考えてたのですが、思いとどまっといてよかったよ。
とにかくこれで、私の疑惑にゆがみかけていた時空は正常に戻りました。ご心配かけてごめんなさい。
◇で、昨日はカツジ猫を病院にワクチンを注射してもらいに連れて行きました。最近やせたかなと思っていましたが4・4キロで、ちょうどいい体重ですよと言われました。お医者さんが口をのぞいたり身体をこねたりして異状ありませんと保障してくれたし、当分は大丈夫でしょう。
彼のケージを物置においておいたら、黒猫のバギイが中で寝てたので、昔買ったまま使ってなかった別のケージで連れて行ったのですが、小さくて窮屈だったからか、カツジはきげんが悪くて車の中でずっとぎゃあぎゃあ抗議していました。でも病院で注射がすんで「帰るよ」とケージを開けると、すっとんで入ったので笑えました。
最近彼は、朝になるといきなり私の顔のわきに来て、ぐるぐる甘えてくっついて眠るようになりました。おかげで私はしばらく彼につきあって二度寝をするはめになり、仕事にひじょーにさしつかえます(笑)。
◇午後には少し時間が空いたので、近くの映画館に「グランド・ブダペスト・ホテル」を見に行きました。嘘だろうと言いたいぐらい豪華絢爛な出演者で、主役クラスの人が皆、脇役をしかもおとなしく出しゃばらないでやっているのがすごかったです。ホテルのたたずまいも何ともよくてぜいたくで、冒頭、今はややさびれたホテルにさまざまな宿泊客が泊まって、人数は少ないから顔見知りにはすぐなるけど、ことばをかわして親しくなることはない、というその設定というか状況に、何だかもう陶然としました。しかも皆、連れがいなくて一人だとか、もう最高。それって私の理想郷かもしれない(笑)。
主役のレイフ・ファインズのまるで没落貴族のようなアンニュイな、しかも有能なたたき上げのホテルマンという、こんなのどう演じたらいいんだみたいな役柄を、あーそれしかないな、絶対にこういう人だよなあみたいに楽々肉体化具現化する底力にもう負けました。エドワード・ノートンの見事な目立たなさも、ウィレム・デフォーのまたあんたそれかい的な恐さも笑えました。
ただねえ、そのけだるい危うく美しい文明文化がファシズムにもろくも、吹っ飛ばされる哀しみは、「風立ちぬ」の時はまだ本人のせいもあるからそう切実でもなかったんですが、今まさに日本がそういう直前で岐路に立ってるのか、もう岐路さえすぎちゃってるのかわからないこの時に見ると、何だかものすごくつらいよなあ。理屈抜きで。
数日前のラジオで、毎日新聞の記者だかが、国会情勢をまるで野球解説みたいな軽いノリでしゃべっていて、集団的自衛権の意味なんか夕ご飯のおかず程度にも問題にしていないのが本当に恐ろしくて、翌日だったかその毎日新聞に野坂昭如が、自分が体験した戦争の悲惨さ、そこへ続く道が今まったく同じように進められているという予感、いや確信を書いていたけど、どっちかつうと、「グランド・ブダペスト・ホテル」の支配人のような、ふわふわ気軽な生き方や書き方が本来のはずの、野坂さんのような人が、こんなにまじめな警鐘を鳴らさなくてはならないことにも、はがゆさのようなものを感じてしまいます。
◇実家の仏壇に供えていた、わらびのゼリーを老人ホームの母のとこに持って行って、いっしょに食べようと思ってたら、ちゃかっと忘れてしまいました。今日は持って行けるかな。母は、しばらく咳が出ていたのですが、だいぶよくなったようで、ヘルパーさんがほっとして喜んでいました。
ここのホームは、いろんな行事や日常の様子をよく写真にとってくれるのですが、ヘルパーさんの話では、母は、写真をとるとき、カメラを向けるとにこっと笑ってくれるのがうれしいとのことです。おかげで私も遺影を選ぶのに苦労しないですみそうです(笑)。
とった写真は引きのばしてホームの壁にはってくれているのですが、もうすぐ父の日なので、男性の入居者の写真がずらりと並んではってありました。皆さんなかなかカッコよく写っていました。