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映画「ゼロ・ダーク・サーティ」感想(2)。

◇言うときますが、この映画はそんな映画じゃないとか、おまえはきちんと見てないとか言われてもそんなこと知らないもんね。この映画が一人の関係者の女性の目を通して、この状況を見てるように、私も私の経験と感情でゆがんだ目でもって、この映画とは向き合うんだから。それは、ちゃんとした鑑賞じゃないだろうけど、いいのよもう、そんなことは(笑)。ええ、笑っちゃうんだから。

それでも、ちょっと冷静になったふりして、映画の感想めいたこと言うと、私、中ほどから別の意味で、「あ、こりゃあかん」と思ったのです。何がかって言うと(ネタばれあります)、ヒロインがくうっと仕事にのめりこんでビン・ラディン発見に熱中して行く結局の、一番のきっかけが、結局はお友だちがテロにまきこまれて死んだこってしょうが。
いくら何でも、もうちょっと何かあるだろ、あってほしいと私はどっかで期待してたのね、多分。これだけよくできてる映画だし、これだけ人類だかアメリカだかは、しょーもない経験つみかさねて、こんにちがあるわけなんだから、そこはもうちょっと何とか、って。バカでした。

それじゃ、肝心の核の部分がスカスカじゃんか。まあ、あれがわざとそう描いたって可能性もないわけじゃないけど、って私もどこまで人がいいんだか。
それでも、そう思ってしまいたくなるほど、あの怒りとのめりこみには説得力がない。いったい観客のどのくらいが、あれ見て「ひどい!テロは許せない!」とか思ってヒロインに同調できるんだろう。私なんかあの自爆テロが成功したとき、やったと快哉叫んだから、そういう人はさすがに少ないとしても、何だって、彼女は三人の子の母親? だから何なの、アメリカの爆撃その他で死んだ母子なんて世界にいくらでもいるだろうに。だいたい、女性をバカにしてないかとやつあたりするけど、彼女、仕事していて敵に殺されたんだろ、私なら満足する。今さら母親とかお涙ちょうだいなこと言ってほしくないわい。

◇むかーしから、子ども時代に戦争映画とか見てて、私が一番わからなかったのは、それまで上官にさからったり軍隊の組織に反抗的だった兵士が、前線に出て、敵に仲間を殺されると、いきなり激怒して阿修羅のように戦って死んでく、という展開だった。
まあそれが現実でもあるんだろうし、もうそうやって前線に出たら、そうするしかないわけだけど、どう考えてもおかしいし、理不尽だと思ってた。
あんたが怒る相手は敵じゃなかろ。いつもそう思って、あきれてた。敵だって仕事で、好きでしてることじゃなし、あんたが怒る相手は国で、上官で、自分だろ。そこで敵にやつあたりするぐらいなら、初めから徴兵拒否するかサボタージュするか、でなきゃいっそまじめな愛国者になっとけよ。あんたみたいなのが、一番始末が悪いし、むかつくよ。ずっとそう思ってた。小学生のころから、映画見るたびに、ほんとに、何度も。

ナチスドイツと(ついでに言うなら天皇制日本とファシズムイタリアと)戦った米軍は、その点、ちゃんと愛国心が正義と一致し、ヨーロッパの解放のために敵と戦った、正義の軍隊だった。正直言って、その後のアメリカの歴史は、あの時の夢をもう一度という幻想のくり返しだろうと私はずっと思ってる。まあ、アメリカのそんなとこも、実は私はそう嫌いじゃないんだけど。
しかし、ベトナム戦争をはじめ、その後のあらゆる戦争で、アメリカが演じたのはナチスドイツの役割でしかなかった。だから、彼らが作る映画は、どうしてもナチスドイツがこぼすだろうグチに近くなってしまう。

ベトナム戦争のころはそれでも、無理無体に「正義を守る」映画もアメリカは作っていたけど、さすがにそれは最近ではもう言えなくなって来た。「ブラックホーク・ダウン」は監督も俳優も私は好きな映画なのだが、ラストに近く兵士の一人が「何で戦うかって? それは友人(仲間)を救うためだ」と言うのが、この映画で語られる唯一の「戦う理由」で、もちろん「友人」というのは、彼らが来ているアフリカの国民のことじゃなくて、戦友の兵士のことで、私は全世界から突っ込みが入るだろうセリフだぜよと思って聞いてた。はるばるアメリカからアフリカまで来て戦争して、それで傷ついた友人だか仲間だかを助けるために戦うんだって、マッチポンプということばの用例に最適すぎる理屈じゃなかろか。
その一方で、ああ、アメリカには今やもう、他国で戦争する目的や大義名分、前線の兵士のやりがいは、ただこれしかないのかと、暗澹たる苦笑をもらしもしたものだが。(つづけます)

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カツジ猫