映画「小さいおうち」感想(おまけ、ちょこっとだけ)。
◇ここ数日私がやたらと「マスター・アンド・コマンダー」の予告編問題を思い出してるのは、よく考えたら偶然じゃないのよね。戦争の時代を描くことと、それに反戦というテーマを盛りこむこととの、難しさと危険さに、またかかわってしまった気がする。
以下はネタばれです。
◇原作にないからと言って、映画が新しいものつけ加えても私は全然かまわないんだけど、それでも、板倉が出征して行くときにタキが「生きて帰ってきてください」と言うのは、ほんとに、げんなり、脱力した。そんなこと言わせなくてはならんのかよ。戦争反対、九条守れ、という点じゃ誰にも負けない私が言うけど、もう、あそこでの、あのせりふほど「手あかがついた」という表現がふさわしいものはない。
◇タキのへやに時子奥様が来て「暑いのね、ここ」と吐き捨てるのも、しみじみ悲しかったなあ。タキはあの女中部屋が、こよなく好きで愛してることになってるし、そういう部屋でなくてはいけないんじゃないの。女中部屋とはいえ、あのおうちの一部だし、自分の住む、その小さい空間を核として、タキはあの家と奥様を愛してるんだろうに。
女中はしいたげられた者にしなくてはいけないのかなあ。贅沢なお洒落な家の中で、狭く暑苦しい場所に押しこめられてるガレー船の奴隷みたように描かないとまずいと思ったんだろうか。そういう話じゃないんだけどな、これは。そういう話ならそういう話で、首尾一貫させなくちゃまずいだろ。
恋愛の描写と同じく、その点もあの映画とてもちぐはぐで、軸がずれてて、ゆがんでる。
この感覚、男の人にはわからないんだろか、という気もちらとする。でもきっと、そうじゃあるまい。男も女も関係なくわかる人にはわかるはずだし、この監督にはそういう小さな美しい暮らしを愛する気持ちというのが、結局まだまだわかってないのだ。
でも、それは、この物語の命だよ。
小説読んでほれた時には監督もある程度はそこはわかってたんだと思う。でも、あえて言ってしまえば、わかり方が全然たりない。
◇あーあ、書いてるとどんどんとめどがなくなるから、このへんでやめとこう。どう言うか、思い出せば出すほど、私は「小さいおうち」の映画って、「マスター・アンド・コマンダー」の、あの薄汚い貧乏たらしい薄気味悪い予告編とそっくりだと感じてしまう。上映してる映画館に近づくのさえ、もうイヤだ。そこまで言うのもどうかとは思うが、まあ幸か不幸か私などが少々何を言っても、映画は好評のようで、ネットじゃほめ言葉があふれてるから、大した影響はあるまいと、ちょっとは私も安心してるのかもしれない。