普遍性とな。
◇暑いか寒いかよくわからない日々が続いている。あいかわらず体調がいまいちなので、ぼつぼつと働いている。
今朝は、水まきのついでに衝動的に生垣の上をおおいかくしていた、つるくさをひっぺがした。前に庭の片づけをしてくれていた若い人が調べたことによると、これは「やぶがらし」と言うそうで、本当に少々の灌木なら枯らしてしまいそうだ。少しだけすっきりしたが、もっと根から根絶しないと、すぐにもとどおりだろう。
◇少しずつ、冬の服を出して夏物と入れ替えている。自分で管理できる量までに減らしたいのだが、なかなか選べない。体調もよくなったし、そろそろ仕事もしないとと、本当にあせっている。
◇この前カーラジオで、新内閣に入閣した地元の政治家が地方局の番組に登場して電話で話していたのだが、アナウンサーの質問をよく聞きもしないで一方的に自分の言いたいことだけしゃべり、その内容も貧弱で、田舎の村会議員でももうちょっとは、いやかなりはしっかりしてるのではないかという感じで、先が思いやられた。きっとこんな人ばかりなのだなと思うと、なおうんざりした。まったく対話が成り立ってなかった。
少し前に沖縄の新知事のデニーさんの、さわやかで人間性の深さや哲学が自然に伝わる発言に、耳も心も洗われる思いがしたばかりだったから、余計にそう感じた。
その同輩の文科相は、これまた、教育勅語には普遍性もあるからアレンジして利用してもいいとか言ったそうだ。
私は専門家じゃないから知らないが、普遍性とか言い出したら、文字通り普遍的に大抵のその手のものには基本的なきれいごとは書かれているはずで、おそらくヒトラーの作った法律でも、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の憲法でも、おおむね似たようなことはどこかに書いてあるだろう。そういうものを皆検討して見てから、こういうことは言ってほしい。
以前オウム真理教で洗脳されて、犯罪にも加わっていた女性信者が、他の宗教のかんたんな基本的文献を読んでみて、「尊師が教えたのと同じことが書いてある。尊師独自のものでも発見でもなかったのだ」と愕然としたとの報道に、似たものを感じた。
こんな連中が寄り集まって何をするのかと思うが、きっとすることが見つからないから、付け焼刃で業績をあげるために、ろくでもないことばっかり考えつくんだろう。