朝っぱらから何ですが。
◇先日見納めと思って、福岡に「ボブという名の猫」の映画を見に行った。(福岡のシネマ北天神。今確認したら、まだ上映中らしい。)
ボブの静かで哲学者のようなたたずまいは、やはり見ていて幸福になれたが、同時に猫虐殺事件のことを思い出して、つらかった。この青年との交流のような幸せを求めて、虐待の犯人に近づいた猫もいたのだろうと思っただけで胸がかきむしられる。
虐殺事件の犯人をせめて実刑にしたいという呼びかけには、すでに10万を超える人が署名した。コメントの中には、毎日料理をしてお湯をわかすたびに、被害にあった猫たちはこんな熱湯を何度もかけられたのかと思っただけで苦しくなると書いている人もいて、多くの人たちに与えた傷の深さも思い知る。
◇コメントの中には、犯人への怒りが自家中毒に近くなりそうな激しいものも少なくない。これほどに憎まれて攻撃されている犯人に同情する気には今のところなれないが、それ以上に、この男の虐待の動画を見て楽しんでいたという動物虐待嗜好者の方が私にはもっと許せない。そんな掲示板を放置しているしかない、国の法律も許せない。
そういう虐待愛好家たちは、この事件で傷つき怒っている人たちの苦しみや悲しみを見ても、きっと何がしかの快感を得ているのだろう。
そういう人たちのためにあえて言っておくが、私は事件を知ったときから、被害にあった猫たちの苦しみへの思いは別として、この犯人の男性に対しては、怒るより実はどうしても、笑いの方が先に立つ。
考えてもみるがいい、仕事も家庭もある、いい年の男が、たかがちっぽけな猫に対して、大なべや手製の檻を調達してお湯をわかし、軍手をはめてそれをかけるなどと、具体的に想像しただけで、間抜けすぎて笑うしかない。虐待掲示板では神とか呼ばれていたそうだが、こんな考えただけでもこっけいでみっともない男の、どこが神に見えるのか知りたい。頭冷やして、よく見ろよ。やってることの、どこをとっても、カッコいいところがかけらもない。
私は悪人や残酷な人はちょっと好きで(笑)、見ていてその魅力にくらっとすることもある。しかし、この犯人のしたことには、まるでそれを感じない。猫たちのことを思えば怒りや悲しみもわくが、この男に対しては、すべてが哀れなほどにダサくて、つまらなさすぎる。
こんなものを持ちあげて喜ぶ人の趣味や美学も、とことん貧しくて、ぼろくて、情けない。だいたいなあ、罰金や保釈ですむ程度のことしかできなくて、虐待とか偉そうに言うなよ。いずれ人間や子どもに対象が波及するだろうと憂えている人も多くて、それはもっともなことだが、仮にそうなる可能性があったとしても、そこまでやれるようになるまでに最低でも13びきの弱っちい猫を殺して、まだ脱皮もできなかったんだろ、善悪どっちの方向にしても。
ヒマだねというか、よく飽きなかったねというか、ほんとにちっぽけでつまらん、能のない男だなあ。持ちあげてたやつも、そのくらい、そろそろ気づけよ。いっしょにバカにされたくなけりゃ。
◇本当に勇気があってスリリングで面白いのは、人間でも動物でも、相手を幸福にすることなんだよ。私みたいに親切にしたら、かえってうるさいといやがる者もいるんだから、それはほんとに、簡単でも単純でもないのよ。
人間なんて生き物なんて世の中なんて、醜くて弱くて汚い。それを何とかできるかどうか、挑戦して、改善して、その状態を維持する方が、よっぽど複雑で危険で、興奮するんだよ。
人でも動物でも、苦しめることなど簡単で、私なんかその気になったら、この犯人なんかよりよっぽど巧みに、猫でも犬でも人間でも苦しめて殺して見せる。アホらしいし忙しいからしないだけです。そんな人は多いはず。わざわざ言うことでもないけどな。親切だから言ってやる。マジでもう、いいかげん気づけよ。犯人も、それにうつつをぬかしてるやつも、そんなことぐらい。