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東日本の車。

今日、町で栃木ナンバーの車を見かけました。
まー、連休だからかもしれませんが、もしかしたら被災地近くから気分転換などで避難して来られたのかなとも思ったりして。

それで、私は思わず、「九州はいかがでしょうか? お気にめしましたか?」と、そわそわしてしまったのが情けないなあ(笑)。

どんな意味でも私は愛国心はないし、日本人を意識もしないのですが、しかし確実にそれはウソだと自分で思うのがこんな時で、スポーツでも何でも、外国の人やよその人が来ると、最高に居心地よくさせてあげたいとあせり、自分の国や町や家が気に入ってもらえるかと気をもみ、あらためて、他人の目であたりを見回して、あの並木は合格だけど、あのビルの色はちょっとどうなんだろうとあせったりする。

前に、福島ナンバーの車が「帰れ」と落書きされたり、避難してきた子どもがいじめられたりしたというニュースに私がうんざりしながらも、何か的確に反応できなかったのは、私なら子どもでも車でも、今被災地からおいでになったら、「どうぞどうぞどうぞっ!」とものすごくもてなす一方、「ほら、ここはいいとこでしょう? 平和で幸福で住みよいでしょう? 」と、亡命してきた共産圏のひとに自国を手放しで自慢するアメリカ人(実在するかどうかは知らんが、映画でも小説でも、そんなのがよくいて、私は自分が亡命者だったらどんなにむかつくだろうと思ったもんだ)みたいな心境にひとりでになってしまいそうで、それを押し隠すのにかなり苦労しそうで、そういうのも何だかあまりよくないなーと、内心忸怩たるものがあったからだと、今気づく。

ひょっとしたら、私が避難してきた人や亡命者なら、「かわいそうに、大変でしたね、さあ、ここは天国ですよー」みたいな感じを臆面もなくふりまかれるよりは、「帰れ、放射能」とか言われた方が、まだ気分がいいかもしれないと、ふと思ってしまう。

それでも私の気持ちのどこかには、いつもおさえようもなくこみあげてくる、そのお国自慢がある。訪れた人を幸福にしようと思い、そうできる国と自分を誇りに思う、どうしようもない善意と得意が。それは、「帰れ」と落書きする精神よりははるかにましかもしれないが、でも果たしてそうなのだろうか。いたわりや優しさは、紙一重で自慢にもつながる。

キャラママが、「飢えた猫を救って、幸福にしてやるなんて、我ながら病的な趣味だ」と時々ぼやくのも、これと似た心境なんだろう。

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カツジ猫