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次の黄表紙は

そろそろ暑くなって来たせいか、なんかぼうっと疲れがとれない。どのくらいぼうっとしてるかと言うと、昨日の夕方買い物に行って、醤油がなくなりかけてたからと、レジから戻ってまで必死で買って帰ったら、醤油はまだたっぷりあって、切れかけてたのは、久原のあご出汁だった。まあもう少し残ってるからいいけど、今日は買い忘れないようにしよう。

トランプ大統領が全国の図書館からジェンダー関係とか環境関係とか自分の考えに反対の本を全部廃棄するように命じたとかで、そこまで世の中狂って来たのかと一瞬目の前が暗くなった。しかし数日かかってよく考えて見ると、多分中国などではそういうのは普通だろうし、まあヨーロッパや北欧の諸国はさすがにちがうだろうが、全世界の国々では似たようなところは多いかもしれなくて、もちろん学術会議が推薦する学者を、どシロウトの政治家たちがえり好みして拒絶する日本も似たようなもので、だったらそもそもアメリカをそんな一流の立派な国と知らず知らずに考えていたのが買いかぶりだったのかもしれないと思い直した。どこの国でも組織でも、こういうことは常にあって、普通に守られてるような常識や感覚も、実は必死のせめぎあいの中でかろうじて保たれているのかもしれないと、あらためて思う。

そんなトランプ大統領に比べれば、もちろん比べるのも悪いぐらい、普通にまともでちゃんとしたバイデン元大統領だが、前立腺がんの末期だということで、気の毒というより、よくもまあその身体であんなに激務をこなしていたものだなあと、舌を巻くというか、あきれる。

いっしょにしちゃバイデンさんに悪いのだが、その上でやっぱり思うのは、いったいトランプにせよプーチンにせよネタニヤフにせよ、麻生太郎にせよ、経団連の偉いさんにせよ、外交もエネルギーもジェンダーも経済もその他すべての政策や方針の行き着く先は、絶対自分が生きて見届けられない未来のことばっかりじゃないか。それを、そんなにえらそうに自信をもって、よくもいろいろ決められるなあ。その結果の爆撃や汚染や貧困で、生まれたばかりの赤ん坊がわやくちゃ死んでるのを何とも思わないのかい。あんたたちがいなくなったあとの世界を作って行く貴重な人材をだだ殺しに殺しておいて、どう責任をとるつもりなんだ。どう考えてもおかしかろ。

その意味では、若者に迎合して高齢者をたたく政策を売りにしている政党や、それを支持する若者がいるのもわからんではないが、それを言うなら何よりもまず、自分が生きてない未来のことを偉そうにあれこれ決める高齢者の政治家を何とかしろよ。そういう権力があって地位も高い高齢者に気配りしてしっぽふって、弱い貧しい生活保護の高齢者とかを攻撃しても何も事態は変わらんだろうに。高齢者と言えば弱くて無能で邪魔者というイメージなんだろうが、ぶったたくなら強くて権力と地位と金持ってる高齢者でしょ。ほんとに未来をつかみたかったら。世界を取り戻したかったら。

あー、久し振りに書いたら、また長くなる。しょうもない話もいっぱいあるのに。明日またゆっくり書くとして、とりあえず大河「べらぼう」は、ますます面白い。今年の集中講義は江戸戯作を中心に黄表紙の原作をなるべく多く読むことにしてるのだが、私のまったく好き勝手なセレクトで、莫切自根金生木(きるなのねからかねのなるき)、大悲千禄本(だいひのせんろっぽん)、親敵討腹鼓(おやのかたきうてやはらづつみ)という、わっかリやすいものを皮切りに、画期的な代表作で「金々先生栄花夢」と「心学早染草」を読み、次は何にしようかと考えていたが、やっぱり春町関係で「無益委記(むだいき)」かな。「従夫以来記(それからいらいき)」「長生見度記(ながいきみたいき)」なんかもいっしょに。

森銑三氏の「黄表紙解題」の二冊では、春町の作品をおおらかでのどかでよいと高評価し、京伝とかは細かくてよくないとかしているけど、私は春町の作品は好きだけれど絶対にこの人ビョーキやわと思う、ぶっとんだ異常さがあって、これを好きと言う森先生もそのへんどうなんだと思うぐらいだ(笑)。一方で京伝は「うますぎて、どこがうまいかわからない」というのが私の印象である。

ただ作品でのそういった印象はあるが、作者に対しては私はほんとに何のイメージも持ってなかったから、大河「べらぼう」は、その点すごく意表をつかれて楽しい。喜三二のゆるふわぶりもいいけど、春町の生真面目な神経質っぽさも、ははあ、そう来たかと思ってやたらに楽しい。

蔦重の本づくりの楽しさには、現代のいろんな編集やイベントの制作現場の思い出も重ねて共感している人も多そうで、これはちょっとうれしい意外さだった。一方で人間関係政治関係が難しくてわからないと脱落しそうな人もいるらしいが、これはさあ、小学生の頃からロシアの長編小説とか読んでいた私が言うけど、わからないでいいのよそんなん。人の名前も人間関係もわからないまま見流して、わかるとこだけ楽しんどけばいいんです。あとでまちがってたって、そんなの気にしないでいいから。

人生そのものだってそうでしょ。家族や職場や学校で、起こること見聞きすること全部が理解も記憶もできるわけないじゃない。気づかないことも見落としたこともそのままに時は流れてそれでも人は生きてくんだから。その要領ですよ。映画も小説もドラマも全部を理解しようとか共感しようとか思っちゃやってけない。というのが、私の楽しみ方です。

プロ野球も大相撲も何がなんだかわからない内に、どんどんいろいろ進んでしまって、気がつけばソフトバンクホークスは借金を完済してました。何がもうどうなったのやら。

私は昔「ホークス三軍はなぜ成功したのか?」という本を面白く読んだとき、甲斐拓也選手が何から何までけなげでかわいそうでかわいくて、どうか幸せになってほしいと願って、それは今でもそうですけど、その一方、なんかもう長編ファンタジー小説のキャラみたいに、劣等感や被害者意識や競争心や上昇志向がぐつぐつ煮えかえってあふれかえっているような牧原大成選手が、うざいなあ近くにいたらきついなあと心の底から思いつつ、なぜか憎めなくて甲斐選手とまったく反対の意味で(というのもよくわからんけど)「幸せになってほしいなあ」といつもどこかで気にかけているのが自分でもつくづくしょうがない。だからこのところの活躍は「本当によかったねえ」と祝福したいのですけれど、これからいったいどうなるのやろか。いや不幸が似合う、いじけてるのが魅力だなんて絶対に言いませんが、本当にこのまま活躍してほしいのですが。

それにしても柳田選手の自打球はともかく、ホークスの中心選手への死球はたしかに何だかたしかにここ最近ものすごく、ファンの怒りや心配もものすごく、周東佑京選手が明日は復帰するらしいけどネットでは「うれしい、見たい、でも心配、もっと休んで」みたいな声が入り乱れているようで。本人はにこにこ笑顔で大丈夫ですを連発しているようですが、どうもこの人、選手会長になってから、目線や姿勢がほとんどどこやら監督なみで、自チームはもちろん相手チームやファンや球界のことまで配慮しているような気がして、あの満面の笑顔がどことなく信用できない。無理してるのなら、だまされてあげるのが一番いいのだろうけれど(笑)。思えば、よく他の俊足選手と比較されて相手の選手が悪く言われてるけど、周東選手の相手や球場全体や試合経過への目配りや判断はもしかしたら他とはけたちがいのものすごいものがあり、後輩への指導はもちろん、マニュアルを本にして残しとけと言いたいぐらいの水準なんじゃないか、メジャーにはまさか行かないにしても、そういうノウハウを磨いておけば将来はコーチ監督解説者何にでもなれるんじゃないかとか妄想するのは私の過大評価でしょうかね。

とか言っていて、昨日また久し振りにネットをのぞいたら、ホークスの活躍してる新人の一人石塚選手が、異様に死球にあたってしまうのが話題になっていました。サヨナラタイムリー打った牧原選手が「石塚選手はよくあたるから自分に回って来ると思ってた」とまで言ってたみたいで、別に本人のフォームにも相手バッテリーの投球にも責められる要素は皆無なのに、なぜかボールがあたってしまうのだそうで、マグネット石塚と呼ばれはじめているらしい。誰かが「不謹慎なのはわかってるんだけど、マグネットのグッズ出してくれたら買う」と言ってたのには、不謹慎だけど吹き出しました。
 まあ大きな怪我にはなっていないようなので、笑っていられる間に、何とか無事に解決してほしいものですが。

庭はバラも満開、足元にはいちごが鈴なり、ニオイバンマツリはこんな状況ですよ。ああ。

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カツジ猫