死人のミサ
クリスマスっちゅうのに何というタイトルだと思われそうですが、私この話わりと好きなんですよ。
子どものころに読んだ話で、多分岩波少年文庫に入ってたんじゃないかと思うんですが、さだかではありません。ぜんっぜん違うかもしれない。
ネットで検索したら、「世界の恐い話」みたいな本に今でも収録されてるみたいで、でも、いろんな人がブログやなんかで紹介しておられるのを見ても、私の読んだ本の記憶とは少しずつちがうんですよね。
すごく短い話です。まさかもう、どうでもいいと思うからネタばれです。どこかの町の奥さんがクリスマスのミサに行こうと早起きして外を見ると、教会にもうすっかり灯りがともって、あらと驚いて急いで身支度して出かける。今思うとあの奥さんは一人暮らしだったのかしら。そんなに年取ったイメージではなかったんだけど、家族は出て来なかったなあ。
教会に着くと中はもう人でぎっしりで、ミサは始まっている。空いた席に腰を下ろしてお説教とか聞くんだけど、牧師さんもまわりの人も知らない人ばかりで、妙に静かで、何か変だなあと思いながらそのまま座っていると、となりのご婦人がそっと声をかけてくる。「どうしてここにいらしたの。すぐにお帰りなさい。これは死人のミサなんですよ」と。よく見たら、それは数年前に亡くなったご近所の奥さんではありませんか(って書いてあったたしか)。
びっくりして震えながら立ち上がると、その隣の奥さんが「ショールをすぐ落ちるように肩にかけて出て行きなさい」と言う。その通りにして出て行くと、後ろから誰かにひっぱられるんだけど、ショールだけ落ちて、奥さんは無事に走って家に帰る。
翌朝、教会のミサに行った町の人たちが見たら、入り口に奥さんの黒いショールがずたずたに引き裂かれて落ちていた。というのでおしまい。
これ、恐いかなあ? 子どものころの私はけっこう恐がりで、手塚治虫の漫画に出てきたガビラとか、しょうもない怪談の話とかに、夜道も歩けないほど脅えたりしてて、その時歩いた暗い川の土手の道まで、まざまざと思い出せるぐらいなんですが、でも、この話はどこも全然恐くなかった。秋成の「吉備津の釜」のラストみたいな恐さが、よく理解できてなかったのかな? そうでもないと思うんだけど。
とにかく、早起きしてしまって、外を見たら教会にいっぱい灯りが灯ってるという、その光景が何だか素敵でわくわくするし、行ってみたら誰も知ってる人がいなくて、何だかおかしいなっていうのも、妙にリアルで、子どものころにはそういうことよくありそうで、今読むと、認知症になったら、こういう体験しそうだなとも思うし。とにかく夢のようで、楽しかった。
隣の親切な奥さんがよく見たら数年前に亡くなったご近所さんというのも、恐いよりなつかしくて、私はもしかしたら、死んだ人とか死の世界について、あんまりマイナスイメージがなかったのかもしれない。
もとの話はどうだったのかわかりませんが、私が読んだ話の、まとめ方もよかったんでしょうね。もの悲しくて、余韻があって、静かでリアルで。
挿絵も好きでした。後ろの方に教会が見えて、人っ子ひとりいない夜の町を手前の方に小さくこちらに走ってくる奥さんが描かれているだけの、版画のような単純な絵で。奥さんの姿は上の方から見下ろす感じで、顔とかも見えないし、まとめた髪と黒っぽい服だけで表現されていました。
いったい何の本だったんだろう。もう一度見たいなあ。
昨日の雨に引きかえて、今日はキラキラ日が照っていいお天気です。ゆうべは何だか熱っぽく、すわコロナかとびびりましたが、風邪薬飲んでケーキとチキンを爆食いしたら治ったみたい。やれやれと一安心しています。いやでもこれって、薬で抑えこんでるだけなのかしらん。そう思うと、ちと恐い。