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泥沼。

◇新潟知事選では、首相はあいかわらず、堂々たると言いたいほどの脅しをかけているし、稲田氏は「酒池肉林」と週刊誌に書かれるような公金での飲み食いをしているし、白紙領収書の問題は自民党は弁明すらもできないし、舛添知事や富山の議員を追及してた半分でもマスメディアがしめあげたら、もう内閣は三べんや五へんは首が飛んでるだろうに。よっぽど首相とうまい寿司を食ったのかい。麻薬でも入ってたんじゃないのかと言いたくなる。

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◇論文を書こうとすればするほど、新しい資料が必要になって、泥沼にはまる。まあ楽しいからいいけども、圧倒的に時間が足りない。国学者片岡寛光の資料がもっとほしい。服部菅雄の伝記は手に入れたが、これをどうまとめるかも頭が痛い。
今朝はふてくされてベッドに転がって、ユーゴ紛争を描いた殺伐たると言おうか酸鼻をきわめたと言おうかの、「零歳の詩人」を読み終えた。ついでに読んだ小田実の「武器よ、さらば」も、骨太で柔軟でなかなかよかった。

◇昨日だったかの毎日新聞の人生相談で、年を取って疲れて来たし、経済的にも厳しいので、地域や何やのいろんな役を引退したいのだが、うまくやめて行くような方法がないかという相談があって、身につまされたのだが、回答者の高橋源一郎さんは、年を取って大事なのは人とのつながり、晴耕雨読はいつでもできるとか回答している。わかってないなあ。もう、いろいろと。なるほどと思う回答のときもあるのだが、これは、それでも作家かと思うぐらい的外れすぎると思った。何よりさ、地域や職場や社会のためにいろんなことしてつくすのは、自分の老後の終活(このことば嫌い。そもそも「活」とつくこの種のことば皆きらい)のためなのかい。なんて、けちくさい、あさましい考えだろう。親が子どもを育てるのだって、老後のめんどう見てもらうためばっかりではあるまいに。

周囲のためにどんなにつくしたって、年取って弱って、その能力がなくなったら、忘れられるし捨てられる。冷たくなんかない、それがあたりまえのことだ。ぼろ雑巾のように使いつくされたくなかったら、少々強引でも自分から身を引いて、どこかに消えてしまうぐらいでないと、絶対使いつぶされる。そのくらいの覚悟がないなら、家族や社会のためにつくしたりなんかするもんじゃない。
昔、外国から来た宣教師か教育者が、すごくがんばって、地域に学校か施設か何か作って軌道にのせて、年老いたら自分は一人で故国に帰って行ったという話があって、私の知人が、ものすごく感動していた。私はそんなのあたりまえだろと思って、いまひとつ彼女の気持ちがわからなかったのだが、なるほど、そうやって人のためになることをしたら、その見返りに老後や最期は世話してもらえることを期待するのがふつうの感覚なのかしらん。今にしてちょっと納得が行ったわ、彼女が何に感動してたか。

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カツジ猫