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混沌に身をまかせるな。

◇文春新書「新しい国へ」を読んだ。安倍首相の書いたもので、最初に出した「美しい国へ」を補充した完全版である。

非常にふしぎな本だった。

まず、なぜこんな本が出せたのかがわからない。新書というものは性格が幅広いが、実用的でも学術的でもやはり一定の水準はある。現職の総理が回顧録でもないだろう。政策や抱負を開陳するのなら、他の政党や政治家でもこのくらいの内容はいくらでも書き、発表もしている。それ以上の大きな魅力や人気や読者の要望があったとも思えない。それなのに、なぜ出せたのか。よほどの力が働いたとしか思えない。読む前から何となくふしぎではあったが、読んでますます、出版できた不可解さと、その分、動いた力の巨大さを実感した。

次に、大半を占める政治理念や内外のさまざまな情勢への考察が、非常に雑然としていて筋道も一貫性もない。私が学生のレポートを読む時に一番悪い点をつける種類の文章だ。さまざまな知識をつぎはぎし、一見よくできているように見えるし本人もそう思っているだろうが、しっかりした内容は何もない典型的な作文だ。

おそらく拉致問題への対応が本人の自慢できる最大の政治的とりくみなのだろう。だがそれも、客観的に証明できることがなく、検証できない功績ばかりだ。本当のことがあるにしても、どこまでそうか、証明ができないものが多い。
そもそも、拉致問題に限らず、この本に書かれた政治的体験は、引退して10年か20年たってから回想の裏話として語られるべきもので、まだ現時点で流動的な事態の中で、それに携わっている人が書くべきものではないだろう。書くより前にすることがあるだろうし、その権力と能力を持っている人が、現時点で語るべきことではない。語ってしまう感覚が、信じられない。

最初の方は幼年時の思い出話などで、これも現在活躍中の政治家が今ごろふり返るのもふしぎだが、自分史につきあうつもりで自伝として読むにしても、大変ふしぎなのは、父や祖父についての話はそれなりにあっても、母をはじめとした女性の話がまったく登場しないことだ。家族親戚使用人、どのような女性もこの本には出て来ない。思い出がないとか親しみがないとか、そういう記述さえもない。自分を読者に親しみ深く見せたければ、むしろ最初に書きそうな関わりが少しもふれられていないし、その理由もわからない。

◇安倍晋三の首相としてのこれまでの発言や行動を見ていて、私が常に疑問だったのは、それが悪意なのか愚かなのか両方なのかということだった。書いたものを読めばそれが少しはわかることもある。人に書かせたものであるとしても、それなりに伝わるものはある。しかし、彼のこの本を読んで、疑問はさらに深くなった。

明らかになったのは、彼が自分についての真実を人に語る気がないということだった。心の闇や何かの計画をかくして演技をしているとしても、それをきちんとかくすだけの仮面や虚像も作ってはいないということだった。

それは、心の闇にしても独自の計画にしても、彼自身がそれをしっかりと見つめ、考えてはいないということでもあるだろう。
人をきちんとだますには、誰にも見せない自分をきちんと把握しておかなければならない。彼にはその勇気がない。能力もない。

彼が何者であるにせよ、何かを語り、行動する前にするべきことは、自分を見つめ、知ることである。おそらく彼はそれをしないまま、動いている。何が自分の本当の望みかさえもわからないまま、より強い力に、自分を最も認めてくれそうなものに、自分を合わせ、認めてもらおうとしている。

それは、いくらかは、私たち自身や、今の若者たちと重なるものがあるかもしれない。あるいはそこに、共通のものを感じ、親近感を抱く人もいるかもしれない。
ただ、指導者としては、これほど危険な存在はない。
このような人に、大きな力を持たせては絶対にいけない。

◇選挙の結果がどうであれ、このような存在との戦いはまだずっと続くだろう。
しかし、その長い日々のためにも、あさっての選挙で、彼を勝たせてはいけない。

投票に行って、勝てそうな野党に入れてほしい。
できたら勇気を持って、一人でも二人でも身近な人に声をかけて、野党に投票してもらってほしい。
それで悪くなる人間関係もあるかもしれないが、
それ以上に、よい関係が生まれる要素も多いはずだ。

投票券のハガキはいらない。なくしていても投票はできる。
帰りに出口でどこに入れたか聞かれても、答える必要はない。
くり返す、虚像さえも作れない、混沌とした存在に、私たちの運命をまかせてはいけない。

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カツジ猫