牛の殺処分に関する要請メール(続きです)
前の書き込みの続きです。すみませんが、前の前から読んで下さい。
◎これは首相あてですが、やはりアドレスが見つからず送れていません。かわりにここで公開します。
私は特に動物愛護に熱心な者ではありません。
しかし、九州在住で、去年の災害、原発事故からまぬがれて以来、
現地の状況がひとごとではなく、ずっと苦になっていました。
テレビや新聞の報道、ネットでの映像を見るたびに、
人間とともに生き延びている動物たちに力づけられてきました。
今、福島県の大熊町で、自動車事故の原因になる等の理由から、
牛たちが処分されようとしています。
疫病等の急を要する事態ではないし、
充分な施設もないまま、不十分で悲惨なかたちでの処分にならざるを得ず、
処分される牛のみならず、人間たちにも苦しい思いをさせることになるでしょう。
復興にとって、必要不可欠なことでも緊急を要することでもなく、
むしろ大きなマイナスになると思います。
政局が大変な折、それどころではないとは承知していますが、
どうか、政府や首相から、「牛の殺処分は慎重に」との一言を
どこかで言っていただけたらと強く願っています。
この問題に真剣に取り組んでいる個人や団体の方も多くおられます。
その方々と協力して、殺さないですむ方法を考えることは、
被災地や日本の今後にとって、とても有効で重要なことと信じています。
どうか、わずかでも、この問題に関心をお寄せ下さい。
◎ところで、大熊町の担当者の方は電話等の要請に、ていねいに良心的に応対して下さっているようで、「みなしご救援隊」ブログのコメント欄(http://blog.livedoor.jp/inunekoblog/)にありますが、それを引用させてもらうと、
1.大熊は他の地域とは放射線量が違う。通いで牛の世話をするなど不可能。
2.放牧はできない。住民から家を荒らす、車とぶつかる(これは原発作業員の方)
という苦情がきている。
3.愛護団体の言い分は分かるが、では現実的にどうするか、の提案はない。役場でも引きとってくれる農家を当たってみたが、見つけることは出来なかった。仮に、他の
地域の酪農家が手を上げても、その近隣の住民を説得できるのか。
ということのようです。
そして、このコメントを寄せた方は、
「大熊町は、もう疲れていて、早くケリをつけたい、という感じ。失礼ながら、困難に立ち向かうといい気概は感じない。後は、愛護団体が『現実的解決策』を提示するか、上(農水省)から処分禁止命令を出してもらうかしかない」
と感じておられます。そうだろうと私も思う。
他にも浮かび上がってきた状況は、牛の所有者は高齢者も多く、ぶ厚い書類が送られて来て「殺処分に同意しないと、交通事故等の補償が必要になる」などと言われては、処分に同意するしかないということもあるようです。
ぶ厚い書類! 私も大学勤務時代、それにどれだけ疲弊させられ、まともな発想も仕事もする気力を奪われたことか。疲れ果ててそれでも再生に向かってがんばっている人たちに、そんなものを投げつけているのですね、あいもかわらず、この国は。
信じられない感覚です。書類の中でしか生きていない人たちの発想とは言わせない。霞が関でも農水省でも文科省でもどこでも、本当に公務員で役人で書類のプロなら、現実に即した無駄のない人の役に立つ書類は、いくらでも作れるはず。回答に苦しむような、わかりにくい「ぶ厚い書類」を作ること自体、書類仕事にもとことん無能、役人や公務員としての能力もゼロとしか言いようがありません。
いや、こんなことを言っている前に、やはり現実に愛護団体が「牛のシェルター」を作るしかないのでしょう。飼い主や当該の自治体を責めても無理だし、残酷です。
私は1000円の食費も惜しむような毎日ですが、そんなシェルターを作るとかいうことでしたら、喜んでお金は寄付します。そんな人は少なくないはずです。
写真集「鼓動」を見たときもそうでしたが、今回の震災で、動物救援に関わる(ほとんど見守るだけですが)ことで、いつも人間の姿も見えてきました。動物を通して被災地の姿をいつも感じていられました。そのことで私もどれだけ救われたか。牛たちを見捨てることは、それに連なる人間の暮らしと被災地を見捨てることです。それは私自身の生きる力を殺すことに他なりません。
どうぞ皆さん、抗議や要請、寄付、記事の紹介などの協力をお願いします。それもだめなら、せめて、見守り続けて下さい。