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盛り上がらないなんて、何様のつもりだ。

◇先週だったか、大学の駐車場で、向こうから来た車に道をゆずり、にっこり笑って手を上げて、優雅に道に出ようとしたら、おいてあった石柱をバンパーがはねて、ごろごろ転がした。当然バンパーの前もへこんでしまった。
このところ、あっちこっちでバンパーの前をかすったりぶつけたりして、たいがいみっともなくなっているので、そろそろ買い替えた方がいいのかなと思って修理工場に持って行った。

車自体が古いので、できたらこのままにしたいところだが、何ぼ何でもひどいので、「やっぱり換えないとだめかねえ」と聞くと、工場の人は、「たたき出しておきましょう」と言うので、預けて帰った。ふだんは歩かない道をぶらぶら歩いて、あまり行かないパン屋で菓子パンを一個だけ買い、仏具屋に寄って、香炉用の小さなろうそくを買い、わらびの絵のすてきな掛物を見てほしいなと思ったりして、楽しく家に帰った。夜に母のところに行ったとき、その掛物の話をして、ここの部屋の壁にかけてみようかと言ったら母は言下に「もったいないから、やめとき」と断じた。

車は夕方届いたが、6千円ぐらいで、へこんだ部分は元に戻り、傷ついたところは全部きれいに塗り直してあって、まるで新品のようになっていた。いやもちろん、ちょっと見れば傷痕はそれとわかるけど、かえって何だかそれがカッコよく、まっさらのよりお洒落に見えた。などと思うの私だけかもしれないが、平安朝の貴族がくたくたにした衣裳を好んだり、今の若者が破れたジーンズを珍重するのと同様で、新品なんて金を出せばいくらでも買えるわけだけど、この微妙に傷が残ってるあたり、なかなか出せる味わいではない(笑)。
何か本当に満足して、新車を買ったみたいに毎日大切に走ってる。ただ、バンパーの片方がちょっとはずれかけたように浮いていて、これはねじを一つ買ってとめたらしっかりくっつくんだそうだ。別にはずれたりこわれたりする心配はなく、このままでもいいということなんだけど、ねじを買ってつけてもらおうかどうしようかと迷ってる。

◇都知事選、「小池百合子にうっかり投票しない女たちの会」というのができてるらしくて笑った。「小宮悦子と小池百合子は別人」というハッシュタグもできていて、これも笑った。
でも、どっちもほんとは笑っている場合ではない。それほど、よく知らない人が多い。

小池候補がリードしてるという話を聞くと、首相の支持率が高いというのと似たものを感じる。これまでも、これからも関係なく、その場その時に受けそうなことを平気で口にして点数をかせぐ。だから論争が深まるわけもなく、争点も見えて来ない。

都民も国民も忙しいから、ていねいな検証などしてるひまはないので、口当たりのいいことを出まかせに言って、都合の悪いことは自分の信念でもかくす人を、ちゃんと見抜くことができない。というか、普通そんな政治家や候補はいないものだから、見抜けという方が無理である。

◇だから新聞テレビがそのへんをちゃんと報道しなければならないのだが、参院選のころからそうだが「争点が見えない」「盛り上がってない」とくり返すばっかり。あのね、私も今、暑くて忙しくてひじょーに虫の居所が悪いので、乱暴な言い方になるけど、選挙の報道で「盛り上がってない」って、何それ。イミフって、こういう時のことばかもしれない。

いったい何をもって「盛り上がってる」と言うんでしょ。そもそも、そういう用語で報道すべきもんでしょうか。ジャーナリストが、政治や社会の情勢を。その内、悲惨な災害現場や戦場や事件現場でも「盛り上がってません」とか言い出すんじゃあるまいね。私の感覚では、それと同じことですよ。選挙報道での、この言い方は。

◇何であれ、立候補して真剣に訴えている候補がいる。誰かを選んで投票しなければならない国民や都民や市民がいる。それは「盛り上がってる」かそうでないかなんて視点で、そもそも語られるもんじゃありません。プロ野球やサッカーやオリンピックの試合だって、たとえガラガラでもブーイングだらけでも、そういう報道はしないもんでしょ、原則的に。「今場所の大相撲は盛り上がってません」「今度の日本シリーズは低調です」なんて書かないでしょ、よくよくのことがなければ。
そんなこと書いたらますます人気は落ちるし客足は遠のくし採算はとれなくなるし景気は低迷するし、第一プレーしてる選手たちにも失礼だから、ちょっとはひかえる。この国のジャーナリストは、(あえて言うけど)たかがプロスポーツに払える敬意や計算を、政治には払えないんですか。自分らを何様だと思ってるんだろ。

だんだん止まらなくなるから書いてしまうけど、ひょっとして大新聞のエリートも含めてジャーナリストって、不勉強で怠け者で意気地なしなんじゃあるまいね。だって例えば菅直人の退陣の前とか、舛添知事の辞職の前とか、民主党政権誕生の時とか、第三極の流行の時とか、ちょっと流れが一方に行くと、それこそどんちゃか浮かれて右へ習えして、たたきまくったりおだてあげたりする。そういう時の新聞テレビの様子って、何か私には見ていて「おれたちが世の中をリードしてるんだ!!」って、すごく軽くて浅い浮かれた熱狂しか見えない。そして、そういうものが見つからなかったりつかまえられなかったり、複雑な状況が理解できなかったりすると、たちまち「盛り上がらない」「争点がない」と大合唱。どう見てもそれって、「わかりません、ややこしすぎて」というお手上げ宣言にしか見えないんですけどね、私には。

◇最近の市民運動や政党の動きが、シールズを筆頭に、そういうマスコミの思惑に乗っからず、さっさと解散したり着実に成果を上げたりしているのが、私には頼もしいし、快いです。
くりかえしますけど、わかんなかったり読めなかったりしたら、取材しなさいよ読書しなさいよ分析しなさいよ自分の心を見つめ直して信念は何かをさがしなさいよ。そして、世間や大衆が状況を正しく理解して関心持って意見言って行動し選択できるような報道をしなさいよ。「盛り上がらない」「争点がない」なんて、ジャーナリストとしての敗北宣言というか、バカでグズで腰抜けだと告白してる以外の何物でもない。

◇言っちゃ何だが私なんか、政治や社会には素人ですよ。ただの江戸文学の研

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カツジ猫