私もなかなか忙しい。
◇この前、たてつづけに「アルゴ」「ゼロ・ダーク・サーティ」と2本の映画を見てきました。パンフレットを買おうとして「ぜろだーくしてぃ」と言ってしまった私も、冗談じゃなくもうトシだなあ。
どっちも映画としちゃよくできていて、楽しめましたけどね、なんかもう、そりゃイランの政府だか国民だかが怒るのは無理ないなー。私も少々脱力してます。
いかんのよねー、ちょうど「エディスの真実」という、「アンネの日記」と似たような運命をたどって、でも彼女は最後まで隠れおおせて生きのびた少女の本を読んでたこともあるんだけど、ナチスやレジスタンスの世界といろいろ重なってしまうもんだから、どうしたってこうしたってアメリカが悪役に見えてしまう。そんな私は、自爆テロが成功するたびに、よっしゃよくやったと思ってしまいかねない。
ベトナム戦争の後のいろんなハリウッド映画を見てて(「プラトーン」とかは、まだずいぶんしっかりしてたけど)、ときどき思ったのは、「ひゃー、強い者の弱音って気色悪いー」ってことだったんだけど、それをまた感じるのよね。
連続殺人犯、婦女暴行殺人犯、あるいはいっそナチスの人たちだって、そういうことをしながらの、苦しみや葛藤や淋しさや悲しみはあったはずなわけですよね。その状況や心境を描けば、それは名作にも名画にもなるでしょう。そういうものもまたこの世に、あって悪いわけではないでしょう。
そういう意味においてのみ、私は「アルゴ」や「ゼロ・ダーク・サーティ」を容認するし、評価する。でも、こういう映画作るなら、その前に少なくとも、残虐な行動の限りをつくしたナチスの看守や、南京大虐殺をした日本軍兵士を主人公にして、彼らのせっぱつまった状況や心理をしみじみと切実に描いた映画を、ぜひとも作って、世界に公開してほしいもんです。マジで、まったく冗談じゃなく。
あ、感想はまたゆっくり書きますね。
◇前にちょっとここで話題になってた、新大久保あたりの反韓デモのことですが、あまりにひどいシュプレヒコールなどに対して、何とか抗議の意志を示そうという呼びかけもあるようです。下のサイトをごらん下さい。
http://kino-toshiki.tumblr.com/post/44854275843/3-17
「エディスの真実」を読んでいて、じわじわ背筋が寒くなるのは、オランダでユダヤ人への差別が、少しずつ進んで行って最後は狂気の段階に達するまでの雰囲気が、実に今の日本の現状とも重なって、息苦しくリアルに恐くなるんですよねー。
特定の民族や人種に対し、死ねの殺せのと、たとえことばだけでも言わせておくのは、言われている民族や人種以外の人たちにとっても、絶対にろくなことにはなりません。