花火のように。
◇台風で、福津海岸の花火は中止になってしまったらしいし、今年はもう一回ぐらい、どこかで花火が見られるだろうかな。
まあでも、初めて見た大濠公園の花火の、それも高速の上から見た、小さい花園のような光の渦が、まだ目に残っているからいいや。
それをしのぶためってのでもないが、初代猫おゆきさんの命日に、お墓の前に並べるのに買った鉢植えを、今日やっと大きな鉢に移して植えたのだが、にぎやかなのがいいと思って色鮮やかなとうがらしをいくつも買っていたので、安物の丸い大きな鉢に植えて庭の砂利の上に置くと、華やかな色彩の爆発が、何だかあの夜の花火を思わせる。枯れないでちゃんと栄えるといいけどなあ。あまり自信がない。
◇それにしてもだ、ホースを延ばそうと5メートルつないで長くしたのだが、これがもうバカにならない。庭のすみずみまで届くし、カツジ猫のいる金網の庭の、これまでなかなか水が届かなかったあたりにも、反対側からかけられる。何より、車にも届くので、ホースで洗車ができるようになった。これも私はこれまでしたことがないので、どこかにあったブラシを見つけておかないと。
◇今夜の夕食は、たまたまだったがお魚づくし。冷蔵庫に入れっぱなしていたぶり大根もどき、もう食べられないかなと思っていたら、ばっちり大丈夫で、味がしみておいしかった。今日、お隣の奥さまに「とれすぎて困っていて」と、立派なゴーヤをいただいたので、明日はあれを食べることにするか。
◇海外ドラマのDVDは、「エレメンタリー ホームズとワトスン」を見ている。面白いんだけど、もう一つの「シャーロック」もそうだが、ホームズを深刻に描いてしまうのが、私はちょっとつまらない。もっと落ちついて安定して普通に堂々と異常だからいいんじゃないか、ホームズって。そんじょそこらの一般人みたいに、いろいろ悩ませないでほしいんだよね。
それにしても、もう古きなつかしきと言いたいぐらい前の「セックス・アンド・ザ・シティ」もそうだが、女性がまったく料理をしなくて、男性たちが当然みたくお茶を淹れ、料理を作って運ぶ光景だけでも、私は幸福に見ていられる。あらためて、Kumikoさんのツイログで紹介されているような、「家事をしないのがあたりまえ」の日本の一部の男性の常識だか何だかを思う。