街の風景。
◇昨日は今年最初の非常勤先の大学での授業で、文学史は演劇に入って、近松の浄瑠璃をやった。「浄瑠璃というのは、とにかく不思議なもので、一人の人形を三人の人間が動かしてるから、五人ぐらい人形が舞台にいると十五人ぐらいの人間が後ろでひしめくことになる。最初はちょっと気になるけど、いつの間にかその後ろの人間が見えなくなって人形だけが見えるようになる」「説明もせりふも、皆、舞台の端で太夫さんが一人で語る。究極の声優なわけで、老人から若者から美女から子どもまで、皆この人が一人でやる。たいがいが、じいさんだし、声だってしゃがれていて、特に女の声なんか出してない。それなのに、これまたクライマックスでは、そのじいさんのしわがれ声が、ちゃあんと、うら若い娘の声に聞こえるようになる」「この二つのマジックを体験するためだけにでも、いっぺん、ぜひ劇場に行ってほしい」とか話した。
持って行って回覧する予定の、文楽(浄瑠璃と同じ意味)の図鑑やなんかが、なぜか一冊も見つからず、書庫をひっくり返したがなかった。しかたなく、「心中天網島」の図鑑を持って行った。人形の写真とかが多く入ってたから、まあいいことにしよう。
最後の感想の小レポートでは「ぜひそのマジックを体験しに行きたい」と書いてた学生も何人かいた。その気持ちが持続するか、どっかに残ってくれたらいいけども。「音楽科では、学生が割引してもらって授業の一環として文楽を見に行ってたけど、国語科でもやってほしい」という意見があって、これは国語科の先生にお話しておこう。
その他、「高校の時の先生が文楽のファンで、教室に文楽のカレンダーがはってありました。でもその人形の顔が恐かったので私たちは嫌いでした」と書いてる学生がいて笑ってしまった。何かかわいい。
しかし、文楽が好きだなんて奇特な先生だな。もしや私の教え子じゃないよな(笑)。
◇田舎の家の壁にかかっていた、むかーし母が中国旅行に行って買ってきた、パンダの切り絵が額に入ってたやつが、古くなって、切り絵がずれてしまってたので、今日街に持って行って、額縁屋さんで6000円ぐらいかけて新しい額にきちんと入れなおしてもらうことにした。田舎の家が売れるまで、玄関にでもかけておこう。ついでに母の「彼岸花『イクサ、ヤメロ!!』と血の叫び」という川柳を書いた短冊を入れる額も、思いきって買っちゃった。今年最初の大きな買い物としちゃ、悪くないんじゃないかと思う。
映画も見ようと思ったけど、時間がみごとに皆はずれていて、これはもう、しばらく家で片づけ仕事にはげめってことだなと納得しておとなしく帰った。車の中から見たけども、大きな門松がトラックにつまれて運ばれていたり、会社員みたいな人が大きなしめ飾りを持って歩いていたりして、もう正月飾りが撤収時期に入ったらしい。私もそろそろ、いろんな飾りを片づけるかな。数の子も食べちゃったし。残ったお屠蘇は今は料理に入れて使ってる。
ひとつ頭が痛いのは、年末に衝動買いして田舎の家に飾ってる、おっきな鏡餅だ。きっとカビも生えてるし、どうやって食べたらいいんだ。ぜんざいパーティーでもするか。